フィレンツェの恋人~L'amore vero~
卵型の背もたれの長いウッドチェアーに座り、両膝を抱きしめて、彼女は窓越しに夜空を見つめていた。


月光の青白い光が左頬にだけ当たって、まるで左の顔面しか存在していないように見える。


それは異様な光景だった。


不思議な説明しがたい違和感を彼女の姿と様子に抱きながら、私は見つめ続けた。


1本の線になってすーっと消えていきそうな、か細い体のライン。


純白のロングワンピースは、天女の羽衣のようだった。


次第に月の位置が高くなり、窓辺を明るくした光は彼女だけを包み込むように差し込んでくる。


彼女は絵画の肖像のように、ただ静かに座っていた。


青白い月明かりが徐々に明るく冴えて来た時だった。


月に吸い込まれるように彼女はぬらりと立ち上がり、次の瞬間、私の体に電流のような戦慄が走った。


「Artemis sta chiamand (アルテミスが呼んでいるの)」


ハンドベルの鈴を震わせるような声だった。


リーン、と幽かで、相当意識を耳に集中させないと聞き取れないような、半透明な声。


「Questa sera (今宵)……Finisco tutto (私は全てを終える)」


フランス語でも日本語でも、おそらく英語でもない。


その言葉がどんな意味なのか、私には理解できなかった。


クェスタセーラ、フィニスコトゥット。


意思とは裏腹に口からこぼしたように言ったあと一度だけふらりとよろけて、操り人形のように振り向いた彼女を見て、思わず「ひいっ」と声を漏らしそうになった。


残酷なまでに美しい、水色の瞳。


私はむしるように、膝の上で眠る煌のセーターを掴んだ。


起きて。


煌。


声が出せなかった。


ただ、夜の空気で少しひんやりしたセーターを祈るようにぎゅっと握るだけで精一杯だった。

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