フィレンツェの恋人~L'amore vero~
月光を背に、夢遊病者のようにふらふら近づいて来る彼女にはもう、少女のようなあどけなさは感じられなかった。


これっぽっちも。


全く。


悪魔に憑りつかれた亡者のようだった。


閑雅な歩き方でつま先を擦るような足音は、私の真横で途絶えた。


窓の外は、雪。


それなのに、どうしてこうも明るいのだろう。


今夜の月明かりは異常に明るい。


「……かほ?」


質問調のその声に導かれるように、私は窓の外から視線を外し、顔を上げた。


トルコ石色の瞳と目が合って、私は狼狽し微かな眩暈を覚えた。


「ミチル?」


今一度、確かめておくべきだと思った。


「ミチル?」


彼女のトルコ石のような目を見て、私はあるひとつの変化に気付いたからだ。


「……ミチル」


3度繰り返し聞いて、やっと反応があった。


それも、とても曖昧な。


けれど、おそらく、確実な。


「今夜はブルームーンね……かほ」


私の質問には一切触れず、


「Joyeux Noel (メリークリスマス)」


そう言った彼女は口元に曖昧なニュアンスの笑みを浮かべ、妙に納得したような表情で頷いた。


にこり。


でも、悲しげに。


切なそうに。


最後はとても苦しそうに。


にっこりと。


その複雑な微笑み方は、私の予感を確信に変えた。


この女性は“ミチル”じゃない。


少女の人格ではない。


この美しい女性は、おそらく。


いいえ、紛れもなく。


「あなたは……煌の」


その時、窓から差し込む月光が一層明るさを増し、リビングの床を煌々と照らした。


その光にハッとしたように目を細め、デジタルの置時計を見つめ、水色の瞳を潤ませたあと、彼女はもう一度私を見つめて、言った。
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