フィレンツェの恋人~L'amore vero~
ハルから、ソープの香りがした。


それは、毎日私が使っている物なのに、ハルから香ると別の香りのような気がした。


「泣きぼくろは涙の結晶痕だと言われているんだ。結晶だよ、結晶」


「それが、何だと言うの?」


「涙を流した分だけ、幸せになれるって事だよ」


「証明できる物はある? いまいち納得できないわ、その話」


難しい人だね、とハルが困った顔をした。


「とにかく、そんな話を聞いた事があるんだ。泣いた分、東子さんは幸せになれるんだ」


どうしても、納得ないかなかった。


無意識のうちに、私はハルを睨み付けていた。


「それなのに、どうして泣くのを我慢するの?」


「え?」


ハッとしたのは、ハルが切ない目をしていたからだ。


「会った時からずっとだね。ずっと、泣きそうな目を、東子さんはしてるんだ」


当たり前だ。


婚約者に捨てられた女が、へらへら笑えるものか。


けれど、二十五にもなる女が、年下の男の前でおんおん泣けるものか。


私は我慢していたのだ。


「せっかくの美人が台無しだね」


すーっと伸びて来たハルの手を、


「触れないで!」


私は、とっさに叩き、振り払った。


「痛っ……」


ハルは何も関係ないし、何も悪くないのに。


ハルが目を丸くして、固まってしまった。


でも、泣きぼくろに触れて欲しくなかった。


いつも慎二が触れていた、私のしるしに。


慎二以外の感触を感じる事が、たまらなく嫌だった。
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