フィレンツェの恋人~L'amore vero~
憎むな。


煌。


憎しみからは憎しみしか生まれない。


憎しみの矛先を間違えるなよ、そう言ったパスカルは、血塗られた煌の手をしっかりと握った。


ふっと煌の目が力を抜いたように緩む。


煌は片腕に亡骸を抱きかかえたまま一度目をつむり、うつむき、ひとつの息を幾つかに分けて吐き出すと目を開いて、パスカルの手を握り返した。


そして、生死を確認するように彼女の体を強く揺らし、


「mere (母さん)……me……母さん!」


一度何かをぐっとこらえる仕草を見せたあと、遭難者が救急隊を見つけたみたいにすがりつき、パスカルに言った。


「Appelez un S.A.M.U! ……Non……la police……Au secours!」


救急車を呼んでくれ。


いや、警察だ。


助けてくれ!


悲痛な叫び声が夜の空気を振動させ、頬に突き刺さる。


「Oui」


おもむろに立ち上がったパスカルが車に向かって駆けだした。


パスカルが場を離れた直後、煌はぐったりする彼女を両手で抱きかかえ、


「これが運命だったというのなら、受け入れるさ」


でも、と言った後、月を見上げて眩しそうに目を細めた。


「許さない」


雪を頬で受け止めながら夜空を見上げる煌の腕の中で、永遠の眠りに堕ちた彼女は彫刻のように美しかった。


「ああ……」


ハー、と煌の吐き出した吐息が白くけぶりながら溶けるように、夜に消えた。


「un monde pourri (腐った世界だ)」


息が詰まる。


煌、と彼の名前を呼びその肩に触れたい。


その震える体を力いっぱいに抱き締めてあげたくて、たまらないというのに。


触れる。


たったそれだけの行為さえ許さない空気を、煌は全身で放っている。


だから、何もできないのではなくて、してはいけないのだ。


何だっていい。
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