フィレンツェの恋人~L'amore vero~
フルムーンを指していた指がツツと右へ移動し、オリオン座を指した。


「オリオンの事が大好きでした。アルテミスは、オリオンに恋をしていたのです」


真っ暗な部屋に響くハルの声はとても低くて、とても静かだった。


「ところが、アルテミスと双子の弟アポロンは、乱暴者のオリオンの事が大嫌いでした。だから、ふたりはいつもオリオンの事でケンカばかりしていました」


まるでおとぎ話の読み聞かせに夢中になる子供のように、


「ある日、アポロンは海で泳いでいるオリオンを見かけました」


私はハルの穏やかな声に耳を傾け、聞き入った。


「アポロンは弓の上手なアルテミスに、こう言いました」


――大変だ! 沖で見たこ事もない獣を見つけたんだ。弓で射ってくれないか、アルテミス


「えっ! ダメよ! だって、それは獣じゃなくて」


アルテミスの大好きなオリオンなのに。


突然声を出した私に、ハルはシッとジェスチャーをして話し続けた。


嫌な予感がした。


とても嫌な予感だった。


「それはとても静かな夕暮れ時でした。まさかそれがオリオンだとは知らないアルテミスは、矢を命中させてしまったのです」


「……」


オリオン座を指していた指がすーっと移動し、再び、フルムーンを指した。


「その後、自分がオリオンを殺してしまった事に気付いたアルテミスは、悲しみのあまり、夜を照らす事すら忘れてしまいました」


「待って、ハル。でも、今日はフルムーンだわ。アルテミスはちゃんと夜を照らしているじゃない」


「そうさ。だって、アルテミスには偉大な父がいたからね。とても、偉大な」


天空の神、ゼウスがね、とハルは続けた。


低くて、いつまでも耳の奥に残るような優しい声で。


「ふさぎ込んでばかりの娘を見ていられなかったゼウスは、アルテミスが夜を照らす時に通る天の近くに」


ハルの長くてしなやかな人差し指が差したのは、


「オリオンを上げて、星にして残す事にしたのです」


冬の星座の中でも一番美しく輝く、オリオン座だった。
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