トルコの蕾
彼女はそう言って、ベッドの側のテーブルに花を置き、夫の痛々しい点滴の繋がった手を優しく握った。
「…綺麗ね、お花も、真希さんも」
彼女が声を掛けても彼は何も反応することなく、口を閉ざしたまま表情ひとつ変えることがない。
話せないのだ、と真希は気付いた。話せないだけでなく、妻が何を言っているのかも、もう理解できないのだ。
自分が犯した罪のことも、もちろん真希のことも、もうきっと解らない。
彼はもう長くない、そう思った。
自分の恋敵であったはずの女の娘に、彼女は一体何がしたいのだろう。
夫が死ぬ前に一度、顔を見ておきたかっただけなのかもしれない。罪深い夫の不倫相手はもう死んだ。だから夫も死ぬそのまえに、どうしても。
真希は受領書を受け取ると、「失礼します。私はこれで」と言って女性に背を向けた。
これ以上ここにはいられない。
「待って、真希さん!」
女性に腕を掴まれて振り返る。
「私は……私には、父親はいません!母は…十年前に死にました。もちろん、私はあなた方の邪魔をするつもりもありませんし…今後一切、あなたのご家族の目の前には現れません…。だから…私のことはもう放っておいてください!」
言い終えてはっとした。
太一の母親が、悲しそうな目で真希をじっと見つめていた。
「違うのよ…真希さん。そうじゃないの…」
太一の母親の優しそうな目が、お願いだから話を聞いてと訴えている、そんな風に見えた。