トルコの蕾
深夜のファミリーレストランで太一を待っている間、とくにお腹が空いている訳でもないのに頼んでしまったカレーライスは、ほわっとした家庭的な匂いを放ちながら冷めていくいっぽうで、妻のいる男と抱き合ってきたばかりの自分にはひどく不釣り合いな食べ物に思えた。
武の奥さんはきっと、美味しいカレーを作るのだろう。そして優しい家庭的な笑顔を武に向けるのだ。どこから見ても幸せな家庭をきちんと維持しつつ、自分と会い続ける男、それが武だ。
どうして自分はいつもこうなのだろうと真希は思った。こんなふうに辛い思いをするのなら、武となんて早く別れてしまえばいいのに。
「…もしもし、タッちゃん?」
溢れてくる涙を拭いながら、真希は太一に電話をかけた。
「…何だよ。もうちょっとで着くから大人しく待ってろよ」
受話器の向こうから聞こえる優しい声。甘えてばかりはいられないのに、この声を聞くとつい、我儘な台詞ばかりが飛び出してしまう。
真希は言った。
「…タッちゃん、…一緒にカレーライス食べない?」
「はあ?今何時だか解ってんのか」
太一は呆れたような声で言った。
「勘弁してくれよ」
「だってもう頼んじゃったもん」
真希は鼻をずずずとすすった。
「…なに?泣いてんの?」
太一は少し驚いたように尋ねたが、真希はそれには答えずに、「お願い」とだけ言った。少しの沈黙のあと、太一は「はあ…」と溜息をつく。
「食うよ。そういえば腹減ってるような気もする」
仕方ないというように、太一は言い、真希は涙を拭った。こんな風に太一はいつも、文句を言いながらも真希の我儘に付き合ってくれるのだ。
「もう着くから俺のぶんも頼んどいて」
「…うん」
「…じゃあな、切るぞ」
「あ…タッちゃん…」
「なに」
「…ありがと」
「おう」
「…待ってるから」
「…ああ」
太一は小さく答えて電話を切った。
太一となら、あたたかな家庭の象徴みたいなカレーライスだって食べられる。
武のことなんか考えずに。
真希は一口も手をつけずに冷めてしまったカレーライスをただじっと見詰めていた。