ワイルドで行こう
あることを心に決めていた琴子は、それからいつも通りの日常を過ごしていた。
ただ、毎日会うようになっていた彼がいないだけ。それだけを思うと、別れたわけでもないのに大きな喪失感。その苦しさが心を雁字搦めにしてしまう前に琴子は首を振った。『それだけじゃない』と。
心に決めたことが琴子を支えようとしていた。
盆明け。会社も業務再開。しかし盆前の忙しさが嘘のように、受注ががくんと減る。しかしこれは毎年恒例のこと。業界の『二八』(二月と八月は売り上げが落ちる)の余波がこちらにもくる。本当に忙しい時はとことん詰めに詰め込まれるスケジュールに忙殺されるが、ない時はとことん何もやることがない業界でもあった。
だけれど。ここが琴子にとってもチャンス。仕事ではない自分のことを何かするなら、この時期だった。毎年ここでまとめて有給休暇を取っては旅行をしたりなどをしてきた。
ここで動こうと決めていた。その想いだけが、英児がいない日々を支えている。だって……これは英児にも繋がっていることだから。
この日も会社は定時で終わった。空が明るいうちに、琴子は郊外電車の駅を目指す。
――いつもだったら。英児が待ち合わせはここと決めていたカフェで待ってくれているか、この駅の近くで車を止めて待ってくれているか。
でも……。やっぱり。いつもの場所に、黒い車はなかった。
あれから、数日。そんなに千絵里さんとこじれているのか。それとも……。琴子は考えたくないことを考えてしまう。目をつむり、そんなことは絶対にないと言い聞かせる。
「おい、琴子」
え? 彼はいないはずなのに呼ばれて琴子は振り返る。
「こっちだよ、琴子」
声がするそこに、白い車。でもその車をよく知っているので、琴子はびっくりして立ち止まった。
「矢野さん」
トヨタのクラウン・マジェスタ。それが矢野さんの今の愛車。やっぱりいつもピカピカの白い車。その運転席から作業着姿のおじ様が手を振っていた。