ワイルドで行こう

 矢野さんがクーラーを切って、ウィンドウを空かした。潮の香がする。港町間近の川縁の道。仕事帰りの車が行き交い、二車線の狭い道、郊外の港町はもう渋滞寸前。それでも矢野さんは港へと向かっていた。
 渋滞しそうな狭い道の運転に気を取られていた矢野さんだったが、黙っている琴子をみて堪りかねたのか、やっと話し始める。
「千絵里なんだけどよ。あれからずっと英児の自宅に通っているわ」
 もしかして……と思ったが。
 何かが崩れ落ちていきそうな思い。今すぐにでも泣いてしまいたい。でも……置き去りにしたのは琴子だから堪える。
「おっと。ちょっと意地悪な言い方だったな」
 港町の駅が目の前。そこで踏切の赤いランプが二つ交互に光りカンカンと鳴り始める。黄色と黒の遮断棒が降りてきて、矢野さんのマジェスタも停車。
「おっちゃんはな。琴子に傍にいて欲しかったんだよな」
 なのに。引き留めたのに置いていった、だから矢野さんは怒っている? ちくりと『英児の自宅に元カノが居着いた』と意地悪な報告をしにきた? 琴子は俯いた。
「……でも。それはおっちゃんの独りよがりだったな。今でもなにがなんでも傍にいて欲しかったとは思っているよ。でもな、それは琴子も重々分かって英児を一人にしたんだなあと。ちょっと分かってきたわ」
 理解ある言葉に変わったので、琴子はそっと顔を上げた。
「安心しな。千絵里は夜には帰るし、英児ととことんやりあっているわ。それから、おっちゃんが英児の自宅でいま寝泊まりして傍にいるから安心しな」
 図々しく矢野さんにお願いしたこと。そして願っていた状況になんとか収まっているようで、やっと琴子は安心する。そうすると、涙がじわっと滲んだが、慌ててハンカチで押さえる。
「……すみません。あの、一方的にお願いしたことを」
「いや。案外、効果があってびっくりだわ」
 目の前を橙色の郊外電車がゆっくりと通り過ぎ、踏切が開く。矢野さんのマジェスタが走り出す。
 やがて矢野さんの車は、大型フェリーが着岸する観光港についた。そこの大きな駐車場に車を停める。水面がオレンジ色に煌めく夕凪が見渡せる静かなところだった。
「今日、琴子を待ち伏せしていたのもな。英児は今なかなか動けない状態だから、おっちゃんが来たんだ」
 後部座席を矢野さんが指さした。そこには紙袋がいくつか。それはあの日、英児と遠出をした時に琴子があれこれ買った土産の紙袋だった。

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