ワイルドで行こう

「俺は、あの時。本当に琴子とお母さんに、こうして抱きしめてもらっているような気持ちになったんだ。本当にほっとして嬉しかったんだ」
 寂しい歩みを続けてきた男が、ある日突然出会った団欒。そこにいた寂しく不安いっぱいに暮らしていた母娘に柔らかに出迎えてもらって――。ついに一緒に歩み出そうとしている。
「これで、なにもかも終わり……」
 夢見た花嫁道具をここで捨てていった彼女も、きっと歩み始めている。その前に捨てなければ始まらない。
 『過去と決別する』。琴子自身も、彼女も、そして英児も。これで前に行けるだろうから。神戸でまた笑顔で店頭にいる彼女を思い浮かべる。そうであればいい。そうであれば……。
 赤い鍋を箱に戻し、琴子は立ち上がる。

 キッチンに戻ろうと、事務所の裏を歩いていると矢野さんに見つかった。
「琴子! 聞いてくれよ!! 武智のやつ、お前がいない間に珈琲の豆を変えやがったんだよ」
「どこに売っているか解らなかったんだよっ」
「そうでしたか。お昼ご飯が終わったら買いに行ってきますね」
 事務所ドアから答えると、矢野さんも武智さんもホッとした顔をしてくれる。
「やっぱよー。琴子、それ似合うわ」
 ジャケットを羽織って戻ってきた琴子に、矢野さんはそういってくれる。
「お帰り、琴子さん。また雑貨のアドバイス、お願いするからね」
「こちらこそ。改めて、よろしくお願いいたします。出来るお手伝いなんでもしますから。ですけど、駄目なことは駄目だとはっきり叱ってくださいね」
 今後も、ご指導よろしくお願いいたします。
 きちんと頭を下げたところで、矢野さんと武智さんが一緒に笑った。『なんで笑うの』と頭をあげて、きょとんとしている琴子に矢野さんが言った。

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