ワイルドで行こう

「もう一度、前に出て」
「はい」
 彼女が素直にギアをチェンジさせ前に出る。そして英児もハンドルに片手を添え、少しだけ手伝う。
「ここでちょっとだけ左に切って前に出すんだ。それでハンドル戻して……」
「はい」
 添えていた手を離すと、その通りにきちんと琴子一人でハンドルを切る姿。
 こうして毎日、彼女が苦手な車庫入れは英児が監督している。
 そう広くはないガレージに何台も詰め込んでいるので、初心者の琴子には難関の車庫入れ。毎日、英児が面倒を見ている内に、だいぶ上達してきた。
「よし、上出来」
「はあ、今日も無事に帰ってこられたー」
 エンジンを切った琴子が、ぐったりとハンドルに突っ伏した。
 英児は思わず笑ってしまう。
「なんだよ。好きで運転を始めたんだろ」
「だって。まだ緊張することばっかり。今日だって信号が青になったと安心しても、赤で停まるはずの右折車が交差点に突っ込んでくるし……」
「まあ、たちの悪い車も多いからな。用心深くしておけば大丈夫だって」
 運転そのものはまだ不器用だが、注意力に周囲への配慮、そして慎重さは抜群の琴子。なのでそこは英児も安心はしているのだが。
 それでも琴子は今度はシートに背を預け、額を手の甲で拭っている。
「運転って確かに運動と一緒かも。いっつも汗かいちゃう」
 あの深紅のカットソーの上に、キャメル色の秋物ジャケット。それを琴子が運転席でさっと脱いだ。
 その途端。あの女の匂いが車内にいっぱいに広がった。夕になってこなれた愛用トワレのラストノート、そして英児が愛して止まない『彼女特有の身体の匂い』。一気に英児の性的な中枢にスイッチが入りそうになる。
 初めて出会った春の夜。英児が一発でノックアウトされた一目惚れの『女の匂い』、いや、牝の匂い? なにもつけていなくても、少し汗をかけば肌からたち上る甘酸っぱい匂い。その匂いがした時、女の身体と肌がしっとり柔らかくなる。それを彷彿とさせる女の匂いは、英児の男としての本能を猛烈に揺さぶってくる。
 もう安心した整備士の兄貴二人は英児にあとを任せたとばかりにガレージを出て行ってしまい、駐車したゼットの中で二人きりになる。だがジャケットを脱いだ琴子は早速、車を降りようとしていた。
「琴子」
 その腕を掴かみ、英児は彼女を車内へととどめる。琴子も不思議そうに振り返った。
「なに。英児さん」
 ドアを開けようとしたその手が離れたのを見た英児は、そのまま戻ってきた彼女の肩を運転席のシートに押さえつける。そんなことをする英児が目指すのは、彼女の小さくて可愛い唇……。

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