ワイルドで行こう

『え』
 彼女が驚いた時にはもう……。英児の両腕は助手席から運転席にいる彼女を囲い、彼女の鼻先がもう目の前。直ぐそこに黒髪の可愛い顔。それでも一瞬、我慢する。帰ってきた彼女の黒い瞳を見つめて……、彼女のために一呼吸置く。
「おかえり、琴子」
 そう囁く英児の唇は『おかえり』と動かすと、琴子の唇に触れてしまっていた。
「た、ただいま」
 戸惑った返答だったが、でも次には彼女もじっと英児を見つめ返してくれる。そしてその唇がそっと微笑んだので、ついに英児はそこに吸い寄せられるようにして塞いでしまう。
 ん……。彼女の柔らかな呻き。それだけで英児は男全開にエンジンがかかりそうになるが、必死に堪える。それでも彼女の唇をこじ開けて、無理矢理中に押し込んでいた。
 男の舌先が侵入し強引に彼女に絡まるのに。でも、彼女もそっと柔らかく素直に捕まってくれる。あの可愛らしい琴子の匂いと芳醇濃密な女体の匂いが混ざりに混ざり合い、取り巻かれる英児の理性がどんどん麻痺していく。英児の頭の中ではもう、琴子は素っ裸だ。最後にはいつもそうなのだが、彼女が着ている服をめくろうとしていた。
 これはいつもの流れであって二人には当たり前の睦み合い。しかしすぐそこに従業員がいる営業中のこんな場所。
「て、店長さん……まだ、営業中……」
 すぐに野生化してしまう英児を止めるのは真面目でしっかり者の彼女。いつものようにすぐさま彼女の服をめくろうとする手を、そっと掴んで止めてくれる。
 夢中になって熱愛を押しつける英児も、それでやっと我に返る。
「そうだった。すっかり……」
 お前の匂いに囚われて、なにもかもぶっとびそうになった――と言いたくなるほど。我を忘れている自分に英児自身がびっくりしてしまう。
「えっと……。先に二階にあがって、お夕食の準備しているから」
「お、おう。ご、ごめん」
 いつも襲うようにお前に飛びついて。そして、そんな俺を上手に止めてくれて。そんな意味の『ごめん』。
「ううん。英児さんのキス、大好き」
 でも琴子はにっこり笑って、しとやかに運転席を降りていく。
 後部座席にある買い物袋とバッグを取り出して、先にガレージを出て行ってしまった。
 英児を置いていったのも『そこで店長の顔に戻ってね』と冷静になる時間をくれたのだろう……? そう感じた。それを言わずに、彼女はいつだってにっこり笑ってさり気なくそう仕向けてくれることが多い。
「やばい、だめだ。俺……」
 ゼットの助手席で暫く、野獣から理性ある滝田店長に戻るには少し時間がかかった。

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