ワイルドで行こう

 英児もその雅彦の気配を感じながら、ゼットのチューンナップの続きをする。
 眺めていると雅彦のスケッチは面白かった。ただホイールをスケッチしたり。ハンドルをスケッチしたり。全体ではなく、部分部分。暫くするとガレージを出て店のあちこちを眺めて、小物や部分スケッチに熱中していた。
 午前いっぱい、スケッチを終えると雅彦は『お邪魔いたしました』と従業員ひとりひとりに頭を下げて帰っていった。
 その帰り際。――『滝田さん、よろしかったらどうぞ』。雅彦が一枚のスケッチを手渡してくれた。
 ガレージの中にある、ドアが開かれたフェアレディZのスケッチ。ガレージに停車している構図なのに、今にも走り出しそうな躍動感あるくっきりした鉛筆線。そしてさっと簡易的に水彩で銀色ゼットとわかるような色塗りもしてくれている。
 さすが。と、思える一枚。できたら飾っておきたい。でも、複雑……。雅彦が描いたものでなければ、新婚の家に飾りたいぐらい、車好きの男にあわせた力強いスケッチだった。
 だがそれを受け取り、英児はますます思う。琴子をイメージした小物のスケッチはいかにも雅彦が描けそうな繊細さで溢れていた。なのに英児をイメージすると、こんなにも男っぽい荒っぽいスケッチもできる。そして琴子と英児はこれだけ世界が違うのだということを見せつけられた気がした。
 だからこそ。これだけイメージを掴んでくれる男だからこそ。任せたい思いが膨らむのも確かな気持ち。本当に……複雑。
「お、それ。前カレが描いてくれたのかよ。いい絵じゃねーか」
 社長デスクで雅彦のスケッチを悶々と眺めていると、矢野じいがのぞき込んできて大きな声。
「やっぱ、プロだなあー。俺のマジェスタも描いて欲しかったなあ」
「親父、黙れ」
 そっとしておいて欲しいのに。分かっているのか分かっていないのか、大きな声で英児のもの思いに割り込んできたので不機嫌に呟いた。
 どんな倍返しが来るかと構えていると、社長デスクに行儀悪に腰をかけている師匠がただ静かに英児を見下ろしていた。だが眼差しが強面――。その眼を見ると英児は今でも緊張してしまう。
「ま、向こうも男だったてことよ」
「わかっているよ」
 親父がなにを言いたいか、英児もそれだけで分かる。
「俺もあの洒落男、気に入ったわ。サンプルができたら、俺達にも見せろよ。トレードマークはお前ら新婚夫妻だけのものじゃないからよ」
 矢野じいが、この店の専務も認めてしまったら、もう英児だけの問題ではない。そう言われている気がした。
「わかった。サンプルがあがってきたら、この事務所で全員で見て選ぼうぜ」
「だな。その時、琴子も忘れるなよ」
 龍星轟全員で選ぶ。矢野じいのいいつけに、英児も強く頷いた。

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