ワイルドで行こう
「助かりました。私もやっとやる気になったし」
 有り難うじゃない言葉ってなんだろうと思ったら、そう言っていた。有り難うばかり言うと彼が嫌がるから。彼も今度は素直に笑顔で琴子の言葉を受け取ってくれる。
「もう大丈夫そうだな。琴子さんもお母さんも」
 彼が琴子の目を、初めて真っ直ぐに長く見つめてくる。琴子の胸がぎゅっと固まった。
 ときめきじゃなくて。『この人、もう去ってしまう』という切なさだった。
 ――もう大丈夫。俺がいなくても。じゃあな。またいつか。これからも頑張れよ。
 そんな顔をしている。コートを届けるだけ届けて行ってしまったあの日のように。
 急に言葉が出なくなる琴子。彼のそんな顔をみたくなく、目を逸らしてしまう。あの日のように二度も見送るなんて嫌、もう嫌。
 それにちょっと腹立たしくもある。女心揺らすだけ揺らして平気な顔。俺、普通のことしているだけだからって顔。だから、もう必要なくなったなら俺は帰るなんて……。
 でもそんな琴子を彼がじっと静かな微笑みで見下ろしているのが伝わってきて、熱い……。
「なんか、女っぽいな。それ」
 夕が近い雨上がりの涼しい風が、紫陽花を揺らしている。琴子の湿っていたはずの毛先も軽くそよいだ。
 足首でゆるやかなに波打つワンピースの青い裾。サンダルの足を隠したりちらりと見せたり。そんなことを見下ろして、彼と目を合わせない。
「かっちり仕事姿のOLさん、お母さんを支えるしっかりお嬢さん。外仕事は肌を出さない慎ましく女の子らしく。いつもきちんとしているイメージがあるから」
「お休みの日は、ルーズな服でだらだらしているの。朝寝坊だってするし、母任せでなにもしないし」
「ふうん。少しは気を抜いたりするんだ。ルーズな琴子さんがいると思うとホッとする」
「そんな。私だって気を抜くわよ」
 彼が小さく笑ったのだが……。
「いや、しっかり者で気を抜かない。慎重な子かなと思っていたから」
 『思ったから、なに?』と、琴子。
「俺みたいな男が、大きな世話ばかりしたかもしれない。ちょっと強引だったかと反省もしているんだ。琴子さん、びっくりしているんじゃないかって」
 その通りではあった。だが。
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