ヒーロー
家のリビング。






飲み屋から帰ってきた親父が、素面に戻ったような顔で僕に告げた。







「ケントが、傷害事件起こしたらしいぞ」







ソファーで雑誌を読んでいた母親が、えぇっ?と耳障りな高い声で叫んだ。







姉は顔を親父にちらりと向けたが、興味無さげに携帯に目を落とす。







僕は言葉が出なかった。







「…ケントって」



「倉木ケントのことだ」



当たり前だろう、と言わんばかりの声色で、親父が答えた。







ケントが?



傷害事件?







思考回路がギシギシと油切れの歯車みたいに鈍い音を響かせた。



無さすぎる現実感がまとわりついて、僕の考える力を根こそぎ奪う。







「隣町で、ケンカしたってケントの叔父さんに聞いた。飲み屋にケントも来ていたが」







錆び付いた思考回路では、返答も思い付かない。



「マジか」



と、呟くのが精一杯だった。







「せっかく柔道も大学まで続けて来たのに。就活もこれからって時に、水の泡じゃない」



「とにかく、スタートラインだ。これから頑張るしかない」



知った風な言葉を並べる両親に、果てしない距離感を感じた。



「…バッカじゃないの」



姉も携帯を触りながら、一言だけ悪態をついた。



就活を相当苦労した姉だ。本心からの言葉だと思った。よかった。姉は少しは近くにいる。根拠は無いがそんな風に思った。
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