大海の一滴

「……分かった」

 何も知らない一哉がつぶやき、麗子の髪を優しく撫でる。


 プラス思考の一哉。優しい一哉。


 それを傷付けたくなる自分。また罪悪感が襲ってくる。罪悪感も、うつ症状の一つらしい。


『うつ病は、別名〈心の風邪〉とも呼ぶように、ありふれた病気なのです』

 図書館に並んだ色とりどりの本が、瞼の裏に張り付いて離れない。医学書、専門書、実際にかかった人の体験記、うつ病の家族が書いた手記……。

(まるで、ダイエット本じゃない)
 巻くだけダイエット、朝バナナダイエット、骨盤揺らしダイエット……。
新しい図書館は、今流行りとばかりに『うつ病関連』のコーナーまで作っていた。

 書かれているのは皆同じ。



『まずは、自分が病気であることを認識しましょう』



(認めるなんて、出来ないわ)

 閉じている瞼に、力が入る。

(絶対、誰にも知られたくない)
 職場の先生、友達、両親。そして、プラス思考の一哉にも。

 だって、私は優秀なはずなのに。
人一倍、努力もしているのに……。


 うつ病になるようなか弱い教師なんかと、違うはずなのに。


 
 すー、すー。
 気が付くと、一哉が麗子の隣りで安らかな寝息を立てていた。

 小さな溜息が漏れる。



 今夜もきっと、私は夜明けまで眠れない。




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