秘書室の言えなかった言葉
「……じ」


今、何か言ったか?


すると、知里は俺のシャツをきゅっと掴み、


「……いじ」


そう言って、悲しそうな顔をした。


はっきりと聞き取れたわけじゃないが

“俺の夢を見て、俺の名前を呼んだ”

そう思った俺は


「俺はここに居るよ」


そう言って、知里のおでこにそっとキスをする。


だけど、次の瞬間……


「……せいじ」


はっきりと違う男の名前を言った。


はぁ!?

誰だよ、“せいじ”って!!


ムカついた俺は、寝ている知里を起こしてでも問いただしたい衝動にかられる。

が、その時、知里の目元で光る涙の存在に気付く。

そして、もう一度


「せいじのバカ……」


他の男の名前を呼んだ。

俺は、ムカつきを通り越し、ショックの方が大きくなる。


「なぁ、誰だよ“せいじ”って……」


寝ている知里に問い掛ける。

答えなんて返ってくるはずないのに……


その時、ふと思い出す。


『俺達、嫌いで別れたわけじゃないし――…』


そう言った、佐伯さんの言葉を。


そう言えば、佐伯さんの名前も“せいじ”だよな……

もしかして、佐伯さんの事か!?


“せいじ”と呼びながら、悲しそうな表情で眠る知里。


なぁ、知里。

もしかして、お前、今でも佐伯さんの事が好きなのか?

じゃぁ、さっき「英治……、好き」って言ってくれたのは、なんだったんだよ……


結局、その夜、俺は眠る事が出来なかった――…


< 88 / 131 >

この作品をシェア

pagetop