抹茶な風に誘われて。
 夏休み中は週にニ、三度は訪れていたはずなのに、もう懐かしくさえ感じる。

 一条、 と筆の文字で書かれた表札を習慣的に確認して、私はチャイムを押した。

 本当はバイトの後に来るつもりだったけれど、葉子さんがここのところ働きづめだったからと、今日をお休みにしてくれたのだ。

「ああ――思ったより早かったな。さあどうぞ、入って」

 からりと引き戸を開けてくれた静さんは、渋い柿色の着物で――そのいつもより明るめの生地にというよりも、大きく開いた胸元に驚いて、私は固まってしまった。

「今、ちょっと風呂に入ってたから……なんだ、これぐらいで照れてるのか?」

 私の目線に気づいた静さんの瞳が、たちまちからかうような色を帯びる。

「えっ、えっと……そんなことは」

 あわてて目をそらして否定する私を、静さんはにやりと笑って中に引き入れ、扉を閉めた。

「会いたかったんだろう? なら、そんなに離れていてどうする」

 玄関先で接近されて、壁に両手をついて逃げられないように閉じ込められた私は、一気にドキドキが爆発しそうになって目を閉じた。

「――まったく、どうしてこの俺が先に電話しなきゃならないんだ」

 そんな呟きに目を開けたら、独り言だとあっさり言って、グレーの瞳で私を覗き込む。

 まだ少し濡れていた毛先から私の首筋にぽたりと水滴が落ちて、身を縮めたところを抱き寄せられて。

 気づけば静さんの腕の中におさまっていた。

「こうしたらあっさり捕まるくせに、全然読めないやつだよ、お前は」

 言われた言葉の意味がわからなくて見上げたら、ふっと笑った静さんに唇を奪われる。

 もう何度目か数えられないくらいのキス、のはずなのに、まだ初めての時と同じようにドキドキして、何も考えられなくなっていく。

「本当に会いたかったのか?」

 キスの合間に訊ねられて、わけもわからず頷いた。

 そしたら静さんの腕の力が強くなって。

「じゃあどうして電話もしない? 俺の声を聞きたいとか、何か話したいとか、そういうことは思わないのか?」

 近距離で見つめられて、心臓はものすごい速さで高鳴っていて、顔も熱くて、私はどうしたらいいかわからずに思い浮かんだ答えを口に出す。
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