抹茶な風に誘われて。
「……ない」

 小さく呟いた声で、怪訝そうに静さんが振り向く。

 腕組みをして、言いたいことがあれば言え、という色を浮かべたグレーの瞳が優月ちゃんを見下ろした。

「……あたし、あきらめないから。静先生みたいな人、初めてなの! こんなにどきどきして――怖いくらいに惹かれる気持ちも。だから絶対あきらめない!」

 予想外だったのか、静さんが瞳を見開いて。

 その一瞬の隙をつく形で再び優月ちゃんが飛びついた。

 ピンク色に光る唇が、静さんの唇と重なるのが、まるでスローモーションのように見えて――頭の中が真っ白になった。

 いつの間にか握り締めていた手が開いたことにも気づかなくて、石畳に自分のバッグが落ちた音でやっと目線を動かした。

 私に背を向けていた優月ちゃんが振り向く。

 長い髪をはらいのけて、こちらを見る前に私はその場から走り出していた。

 優月ちゃんより先に私を見つけた静さんの瞳が驚きに見開かれるのと、その唇が声なく「かをる」と動いたことで、余計に怖くなったから。

 ――だって、今私、自分でどんな顔をしているかわからない。

 静さんにキスをした優月ちゃんに腹を立てているのか、それともキスされた静さんを許せないのか。

 許せない、だなんて――。

 いつのまにこんなに怖いこと、考えるようになっちゃったんだろう。

 自分で自分が怖い。

 でも、でも……心の中がぐしゃぐしゃで、静さんに会うことなんてできなかった。

 もちろん――優月ちゃんにも。

 これじゃあ本当のことを打ち明けるどころか、もっと言いにくくなってしまった。

 それに、本気で静さんが好きだと堂々と告白した優月ちゃんは、少なくとも嘘をついている様子なんてなかったから。

 どうしたらいいのか、完全にわからなくてなってしまった私は、ただ無我夢中で駅へと走っていた。
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