抹茶な風に誘われて。
「まあせいぜい頑張れ。いつか俺に勝つ日があれば、最高級の上生菓子セットでもおごってやるよ」

 そんな日、一生来ないと思うけど――なんて胸の内で呟く俺には気づかず、亀元はたちまち嬉しそうに顔を上げた。その笑顔、単純具合、まるで尻尾を振る子犬だ。

「ほんとかよーやったやった。よっしゃ、頑張るぞ!」

 単純な奴だとは苦笑しつつも、いつもの茶席をわりと楽しんでいる自分がいる。そう気づいていてもなお、悪い気はしなかった。

 あれほど触れるのも嫌だと思えた茶道具を自然と手に取れたのも、まだ最近のことだというのに。

 自分と、気の合うわずかな仲間のために点てる茶は、純粋に楽しめるのだとわかった。その一端を担う友人をしばらく見やってから、俺は襖を開ける。

 その背中にかけられた声に、足袋を履いた足が止まった。

「なあ、静(せい)――お前、本当に茶道で身立てるつもりねえの?」

 今まで何度か訊ねられた問い――そのたびに冗談めかして答えていたが、今日は笑顔を消して振り向いた。

「ないな」

 一言で答えた俺の瞳をじっと見ていた亀元は、すぐに肩をすくめ、いつものように笑った。

 その顔に一瞬浮かんだ残念そうな色にも気づかないふりをして、俺は続ける。

「お前さ、もし俺が家元になってて、こんだけのこと習ってたらいくらするかわかってんのか? お前程度の給料じゃあ、あっという間に破産だぞ」

 一つ二百九十円の菓子にすら怯えるホストは、その言葉にあっという間に顔を青くした。

「ほら、そろそろ出勤時間じゃないのか? さっさと生菓子代、稼いでこい」

 ふざけて背中を突付くと、亀元は慌てて時計を見て、立ち上がろうとして例のごとく――転んだ。

「あっ、足っ……しびれたーっ!」

 間抜け極まりないいつもの姿を横目で見て、俺はふん、と笑う。

「まだまだ青いな、駄目元」

 これみよがしにスタスタとその前を横切って、しびれたほうの足を踏んづけてから、襖を閉めてやった。

「ひっ、ひいい……こっ、こんの性悪野郎! 一条静なんて優雅な名前お前には似合わねえよっ、意地悪静だ、意地悪静―っ!」

 まさに子供そのものの負け犬の遠吠えに、俺は今日も舌を出すのだった。
< 4 / 360 >

この作品をシェア

pagetop