太陽と雪

非常勤講師

「ただいま、椎菜」

病院ごとに決められた面会可能時間はとうに過ぎていた。

だが、宝月家の専属医師、高沢のはからいで特別に入れてくれた。


いいのか?
コレ。

高沢の首、飛ばないかな……

高沢の心配より、今は大事な彼女のことだ。
椎菜の病室へと急いだのだった。

「麗眞、遅いわよ。
待ちくたびれちゃった」


「……ごめん」

椎菜の額に、軽く口づける。


「ありがと。
私がそんなこと言うと思う?

冗談よ、冗談」

いたずらっぽい笑みが、本当に冗談なのだと物語っている。

付き合っていた頃も、こんな感じのやり取りをよくした。

懐かしい。

「もう。

ちょっと本気にしただろ?

でも、待たせて悪かったな。

寂しかっただろ?
ごめんな」

「寂しかった。
点滴とか、いろいろ繋がれてなかったら、扉が開いて麗眞が来た瞬間、ぎゅーってしたかったくらい」

「可愛い服着て可愛いこと言うな。

ホントに反則。

あんまり可愛いこと言うと襲うよ?」

ふと、妄想をしてしまった。

椎菜と結婚したらどんな生活になるんだろう。

俺が仕事から帰って家の玄関を開ける。

玄関に足を踏み入れて扉を閉めた瞬間。

甘い香水の香り。

背中に回る温かい手の感触。


「おかえり、麗眞」

正面から、椎菜に抱き締められている。

「ただいま。
寂しかった?
椎菜」

少しだけ震える肩が、俺の言葉への肯定を示していた。

出迎えてくれた可愛いお姫様の機嫌を直すべく、一度身体を離して、光沢のある彼女の唇に自らの唇を重ねる。

……なんて妄想をしていたのだ。
自分でも恥ずかしくなった。

しかも、なぜ今のタイミングなのだろう。

それを頭から追いやるため、窓外に軽く目をやった。
目線を窓から椎菜に戻した際、トレーに乗った病院食がほとんど減っていないのが目についたのだ。

「何?

トレーの中の器の中身、ほとんど減ってないじゃん」

「うん。

ちょっとね。

あんまり食欲なくて」

椎菜は一日を通してあまり量を食べない。
それは、高校の時から変わっていない。

昼は、食欲があればパン2個にミニサラダ。
そんなんで、よく1日もつよな。

……よく、今までタフな獣医の仕事を続けてこられたよな。

しかも、非常勤とはいえ、大学の教授までして、わらじを2足履いている。

まったく恐れ入る。

「そんなんだから、倒れるんだよ。

この際だ、食事指導もしてもらえ。

このままじゃ、退院しても点滴しに通院するようだぞ?」

椎菜の腕は細いが、この細さは異常だ。

今はそんなことはしない。

だが、ちょっと力を入れて抱きしめてやったら簡単に腕の骨が3本くらい、折れるんじゃないかというほどだ。

「それは嫌かも」


「じゃ、俺から高沢に頼んでおくわ。

ついでに相沢にも。

生命の危機だぞ?
それ」

「わかったわよ」


本当に大丈夫なんだか……。
先が思いやられる。


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