太陽と雪
そんな一時の悩みも、食の誘惑には勝てないようだった。

久しぶりの中華料理をお腹に入れたら、そんなことは気にならなくなった。

部屋に戻ってTVを点けると、連日報道されている殺人事件のニュースを伝えていた。


「嫌よ。
……こんな物騒な世の中……。

だから刑事っていう公務員の需要もなくならないのよ。

弟の麗眞ばっかり現場に行って帰ってくるなんて嫌よ。
私、ニートやってるみたいじゃないの」

「そんな物騒な事柄全てから、彩お嬢様をお守りするために、私がいるのですよ?

どうかご心配なく。

それに、彩お嬢さまには経営コンサルタントという、立派なお仕事があるではないですか。

立派な学歴もございます。

ニートではございませんよ」


矢吹がそんなことを言ったところで、私の携帯が鳴った。


『彩ちゃんか……
ニュースは聞いたな?
殺人事件の。

監察医としての意見が欲しいんだ。
至急現場に来てくれないか?』


鑑識官をしている上司からの命令なら、断りたくとも断れない。

断る理由も見当たらなかった。
行くしかない。

人が命を落とした現場に行くのだ。

気は進まないが。

また着替えるのも嫌だ。

「……了解しました。
すぐ、行きます」


「……矢吹。
至急、玄関にリムジンを回して。

その間に、手早く着替えるから」


「かしこまりました。彩お嬢様」


矢吹の返事を聞いてから、部屋に向かった。


 はあ、もう。
ゆっくりする暇もないじゃない……! 

今日こそは、家でゆっくり過ごそうと思ったのに……!


計画が台無しだわ。

そんなことを考えながら、着替えていると、急にドアが開いた。

下着姿のままだったので、反射的に、背中を向けてしゃがみ込んでしまう。


「きゃあ!!
何、ノックもしないで着替えの途中に入って来てるのよ……!!」


入って来たのは、矢吹だった。


「た……大変失礼致しました……」


それだけを言って、部屋から出ていこうとする彼。

朝と同じやりとりになったことに苦笑いしか出てこない。

今日だけで何度、このやり取りをしているのだろう。

ふと、朝に彼が言っていたことを思い出す。

着替えの最中が一番、無防備になるらしい。


「いるなら、いていいわよ。
後ろ向いててくれるなら……、という条件つきだけどね」


無事に着替えを終えると、リムジンに乗って上司が待つ現場に直行した。


「彩お嬢様。

外は空気が冷たいのはわかりますが、彩お嬢様の自慢のストレートヘアがマフラーに隠れておりますよ?

お気をつけ下さいませ。

もう妙齢の、立派な女性なんですから。
彩お嬢様は」

失礼します、と言ってから矢吹はマフラーから私の髪の毛を救出してくれた。

矢吹の温かい手が心地よかった。

「行ってらっしゃいませ、彩お嬢様。

……くれぐれも、お気をつけて」


矢吹の声を背に、ベージュのパンプスのヒール音を響かせながら現場へと歩を進めた。
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