大江戸妖怪物語
顎鬚を触りながら彼女の父親は源一を見下した。
そんな差別的発言は許せるわけもない。栄えているからなんなのか。田舎だからなんなのか。
「お言葉ですが」
源一はゆっくりと声を出した。
「確かに俺は勉強はできないです。あなた方が言う、偏差値も学力もないでしょう・・・でも」
源一は彼女の父親の目を睨みながら言った。
「・・・でも、俺には心があります。俺は・・・確かに学力も必要かもしれませんが、なにより大事なのは心だと思うのです。心の豊かさは人間を表す、貧しいものは心の乏しさが言動に出るのです」
「では、あなたがボロボロの衣を着ているのはあなたの心が乏しいからですか?」
「・・・そういうことじゃなくて!」
父親の素っ頓狂な質問に苛立ちを露にする。
「やはり知のないものはすぐに怒る。愚の骨頂だな」
そんな源一の態度を彼女の父親は馬鹿にしたのだった。
しかしそこで殴り返すほど源一も馬鹿ではなかった。静かに怒りの鎮静化を図る。
「源一さん、ごめんなさい・・・。帰ります」
麻子は泣きそうな顔で両親を引っ張った。周りの人はヒソヒソ話を始める。
「ほら、またあそこの家族よ。学力学力ってほんと五月蠅いわよねー」
「あの男の人かわいそう・・・。あの家族、ほんと頭にくるわ」
「田舎者が馬鹿って・・・江戸の人からしてみたら、ここが田舎よ。井の中の蛙ってやつね」
自分に同情してくれるのはありがたかった。が、それだと、麻子まで否定されてしまうことになる。それは許せなかった。
そして数か月前のことである。麻子の住む村に野菜を届け帰ろうとしていた時であった。
「麻子?!麻子ォ?!どこにいるのよ麻子ぉぉ!!!」
髪を振り乱しながら村を駆け巡る女がいた。それは麻子の母親だった。源一はこの女に苦手意識を持っていたため、何も悪いことはされていないが、家屋の陰に身を潜めた。どうやら麻子を探しているらしい。
そのとき、服の裾をつんつんと突かれた。振り向くとそこには黒い布を頭から被った麻子野の姿があった。
「ま、まk・・・うぐぐ・・・」
麻子に手で口をふさがれる。麻子は空いている左手の人差し指を口元にもっていった。静かにしてての合図なのだろう。源一はそれに従う。
「麻子!どこだ、どこにいる!」
近くで麻子の父親らしき人の声がする。源一と麻子は、より家屋の陰へと身を潜めた。するとすぐに麻子の父親がゼイゼイと息を切らしながら走っていた。先ほどまで二人が身を潜めていたところを通過する。ギリギリセーフだったようだ。
父親の声が遠ざかっていったのを確認した後、源一は麻子に説明を求めた。返ってきたのは、意外な言葉だった。
「・・・駆け落ちしたい」
源一は驚いた。わかっていた、彼女の決心がどれほど固いのかを。いつも両親に逆らえずにいた彼女が決心した駆け落ち。それは両親との親子関係の絆よりも源一との絆が深いことを意味していた。
「置手紙を置いてきました。『私は愛する彼と一緒に行きます。探さないでください』と。もう、後に引き返せないことはわかっています。・・・・・・勝手に駆け落ちとか迷惑ですよね。ごめんなさい・・・」
「迷惑なんてしてない。するわけがない。とても嬉しいよ・・・麻子・・・」
きつく抱きしめあう二人。しかし、ずっとここにいるわけにはいかない。あの両親のことだ。血眼になって娘を探すだろう。ここが見つかるのも時間の問題だった。
「時間がない。早く逃げよう」
麻子の手を取り、そこを去る。燦々とした太陽が二人に降りかかってくるような日光だった。一瞬、目を細めて怯んだが、慌てて目を慣らす。建物の影から市場のほうを見てみた。すると彼女の母親がものすごい、猪のような顔で走り回っていた。
「お願いです!娘を!娘をさがしてくださいいいいい!!まだ、遠くにはいっていないはずなんですうううう!!!お願い、お願いいいいいい!!!!!!!!!!」
誰かに向かって叫んでいるのか、はたまた大きい独り言なのか。しかし、そんな彼女を助けようとする人間はいなかった。
「つーか、今まで学力がどうのとか言って上から目線で接してたのに、お願いなんて言われても受けるやついねえだろ」
「普段の生活態度が、こういう時にえいきょうするんだなあ」
「あの両親じゃ、娘さんが嫌がって家を出るのも当然だ」
男たちが猪のように変貌した母親をみて嘲笑した。
「・・・行こうか」
母親の姿が見えなくなったのを確認し、源一は市場を突っ切った。