主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】
「十六夜…!逝った…のか…」


力なく息吹に抱きしめられた主さまはぴくりとも動かず、主さまを抱きしめた息吹もぴくりとも動かず――

ただ瞳を見開いて瞬きもせずに何もない宙を仰いでいるように見えた。


――息吹が…愛しい娘が居なくなった――


“これ”はもう、息吹ではない。

息吹の魂がこの清くて美しい身体にこもっているからこそ、愛しかったのに。


もう、息吹ではない。

息吹を操って事を成就させようとする悪鬼として、処断しなければ――



「息吹…父様が後で十六夜の身体と共に弔ってやる。そなたを先に逝かせてしまった親不孝な私を赦しておくれ…!」



号泣する百鬼たちの声を背負い、複雑な印を素早く結んだ晴明の目尻にも涙が浮かんでいた。


が事は急を要していて、今ここで百鬼たちのように泣き叫ぶわけにはいかない。


晴明は最強の十二神将を召喚するために術を唱え、今まさに彼らが呼び出されようとしたその時…、印を結んでいた手が緩んだ。



「…息吹…?」


『ふう、やっと出て来れたか』


「な…、そなたは…あなた様は…」



急に晴明がその場で膝をついたので、ただ泣き叫ぶことしかできなかった百鬼たちの声が一斉に止み、晴明と息吹を交互に見つめた。


息吹はゆっくりと主さまの身体を床に横たえさせて、大穴の空いている傷口に手を翳し、やんわりと微笑んだ。



『この男が死んでしまえば妾も死んでしまう。仕方ない、助けてやろう。妾を…この娘を愛してくれた礼じゃ』


「あなた様は一体…!?」



明らかに聖なる光と衣を纏っている息吹は、主さまの傷口に手を翳したままゆっくりと晴明に首を向けて微笑みかけた。



『妾は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。妾の血族と婚姻した鵜目姫の祖のさらに租。せっかく眠らされておったというに…目覚めてしもうた』


「木花…咲耶姫!ではあなた様は神々の…!」


『そうじゃ。いわば妾は先祖返り。神の血を強く引いて生まれたがために捨てられた不運な子…。だがこの娘に封をした者が居てな…。それで妾が目覚めることはなかった。だが封は外れてしもうたぞ』


…神。


古代の、しかも天租――


晴明は、ただただひれ伏すことしかできなかった。


木花咲耶姫が息吹の中で目覚めた――

息吹の人としての秒針が止まった瞬間だった。

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