絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
夜と闇の世界の入り口in香港
「連絡嬉しかったよ」
「そう?」
「うん。だって、私からはなかなか……」
「そうね。そんなことよりね」
 樋口阿佐子は珍しく丁寧に髪を結い上げていた。警視庁総監の娘である彼女は生まれつきのお嬢様でベンツには必ず運転手がついており、多分今も運転免許も持っていない。
 こんなに香月とは全く勝手の違う彼女と知り合ったのは随分昔ことになる。
幼少時代、父親の奨めでピアノスクールに通っていたときのこと。まだ2度目の練習の日、たまたま阿佐子がスクールの見学に来ていた。その当時のことは、周囲の助言をかりて空想したもので、ほとんど覚えてはいない。話しによると、スクールが終わるなり突然自宅に遊びに来ないかと誘われた。迎えに来ていた継母は戸惑ったが、付き添いの初老の男性に丁寧に誘われて、そのまま娘をベンツの中に入れたのである。
 結局香月はスクールは3度目でやめてしまったが、阿佐子はその講師を専属でつけて自宅で練習を始めた。子供ながらに、忙しい人だということはよく分かった。ピアノ、茶華道、日本舞踊、確か乗馬もしていたと思う。その合間を縫って城のような自宅に送り迎え付きで招待をしてくれていたのである。何をして遊んだだろう。チェスを始めとするボードゲームや、愛犬の散歩、自宅のプールでも泳いだか……。必ず美味しいお菓子を出してくれてそれがとても楽しみだった。自宅で食べるような10円、20円の駄菓子ではなく、高級店の上等な菓子だということは、子供ながらに十分伝わった。
 それから、中学、高校、大学もずっと違う学校だったが、2人の仲は途絶えることはなかった。時々阿佐子は自分の友人も紹介して、その中に交えてくれた。学生でも、阿佐子の周りは皆華やかだった。だけれども普通の香月を誰もそのようには扱わなかったし、逆に丁重に接してくれた気がする。嫌な気持ちがしたことは、ただの一度もない。
 その友人の一人がホスト、イッセイ、本名一成夕貴(かずなりゆうき)である。彼の父が樋口の部下であり、産まれたときからの仲らしかった。彼もまた、優しく丁寧に相手をしてくれた。なので、今の職業もまあ、向いているんじゃないかと思う。
 阿佐子は目的地へ向かうベンツの中で話の続きを始める。
「本当に素敵な方なのよ、驚くわ」
「日本語どれくらい喋れるの?」
「日本人以上に」
「なるほど……」
 さて、本日は何の集まりなのかというと、事の始まりは昨日の昼のこと。突然阿佐子から電話がかかり、
「素敵な中国の方を愛に紹介したいの。明日の夜ちょっと出て来てね」
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