優しい手①~戦国:石田三成~【完】
その男は…見るからにやつれていた。

髷を結い、顎髭をたくわえ、黒い甲冑を着こんだ男は進み出てきた謙信を見て邪悪な笑みを浮かべた。


「貴様が上杉謙信か」


「そうだけど、君が織田信長だね。うん、見るからにそんな感じだ」


――頬はこけ、目の下にはくまができている。

馬に乗るのがやっとという感じだったが、目だけは異様にぎらつき、三成と共に騎乗している桃を捉えると目を見開いた。


「その方が桃か。ふふふ、儂の前に自ら出て来るとは度胸のある女だ。そういう女子は嫌いではないぞ」


「悪いけど、桃は君にはあげない。病の進行によって命を落とすか私に斬られるか…どちらがいいか選ばせてあげよう」


甲冑も着ず、僧服と僧帽という軽装の謙信は柔和な笑みを浮かべ、そういう男を虫唾が走るほどに毛嫌いしている信長は馬上ですらりと刀を抜いた。


「何故桃を守る?貴様は日和見主義の龍だったはず」


「私は牙を隠していたけれど、常にその牙は砥いでいたよ。私は君を倒し、平穏を手に入れる。それに何故桃を守りたいか、だって?」


謙信は僧帽を取り、女と見紛う美貌に微笑を浮かべ、肩越しにちらりと桃を振り返ると、静かにそれを口にした。



「古より交わされた約束を果たすために。私と桃は一心同体だ。さあ、毘沙門天の名の下に、織田信長…君を、滅する」


「…!」


――信長は生まれてはじめて戦慄を覚えた。

謙信の背後に憤怒の表情の毘沙門天が見え、音もなく刀を抜いた謙信に怯えた愛馬が暴れ出し、懸命に手綱を絞って大人しくさせようとしたが…


「謙信さん!」


「大丈夫。今私はいつになく落ち着いているよ。三成、頼んだからね」


「わかっている」


腕の力も萎えかけていた信長は…ここへ着く前に喀血していた。


…謙信に勝てたとしても、この命は恐らく潰えるだろう。

それでも天下に執着し、全てを牛耳ろうとする男は、霞む目を擦りながら謙信の背後に見える毘沙門天に刀を向けた。


「桃は俺のもの。俺の妾にし、可愛がってやろうぞ」


「…」


謙信の瞳に、炎が燈った。
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