四竜帝の大陸【青の大陸編】
「我のために、美しく……綺麗な皇女であれ」
「<監視者>様の……貴方様のために?」

顔色が悪く、髪の乱れた女では困るのだ。

「そうだ。我を失望させるな」

温室に咲く花のように、りこの目を愉しませるモノであれ。

「は、はいっ!」

午前中のシスリアの書き取り試験で合格点まで12点足りなかったことで落ち込むりこの、よい気分転換になれるやもしれぬ。

「貴方様がわたくしを美しいと言ってくださるなんて……あぁ、夢のようです……妾妃になり老いた姿をお見せするよりも、美しいと思ってくださったわたくしを憶えていていただくほうが良い……えぇ、そのほうが、きっと……。ずっとお断りしていましたが、決心がつきました」

我に向けられた皇女の笑みは。
今までのものとは、何かが違った。
それがなにかは、我には分からなかった。
分かろうとする気力も起こらぬので、考えるのはやめた。

「貴方様の妾妃ではなく、わたくしは隣国に嫁ぐことにします」

嫁ぐ?
りこがこれを気に入ったならば、メリルーシェの王に貰おうと思っていたのだが。
鯰の代わりにしようかと……。

「そうか、嫁ぐのか」

鯰は老いても見目がたいして変わらぬが。
これが老いたら……人間の女は、すぐ老いて死ぬ。

「最後に、お願いがございます」

この皇女をりこの観賞用の愛玩動物としても、短期間しか使えぬし。
よくよく考えてみれば、りこの好む鯰の感触のように“ぬるぬるむちむち”でないこの皇女では、鯰の代わりにはならんしな。

「わたくしの名を、呼んで頂けませんか?」

立ち上がろうとした我の左腕に、皇女の手が伸びて。

「出来ぬ」

寸前で、止まった。

「な、何故ですか!? 抱いて欲しいと願ったわけではなく、ただ……ただ一度、わたくしの名を貴方様にっ……」
「我はお前の名を知らぬ」
「………う……う、そで……そんな……わたくしと貴方様は10年もっ……」

見下ろした皇女の目は、淡い茶色をしていた。
今日。
今、それを。
我は、初めて知った。

「わ、わ、わたくしの名はっ……」
「名のらずともよい」

鯰の目玉は何色だったのだろう?
皇女の名は知りたいとは思わぬが、あの鯰の目玉の色が何色かは知りたいとは思う。

「我にはお前自身もその名も、必要の無いモノなのだから」

ナマリーナよ。
皇女のことよりお前のことが、我は気になるのだ。

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