≡ヴァニティケース≡

「お疲れ様でした」


「ご苦労はんどした」


 やがて日も傾き、事務室に労いの挨拶が行き交う頃になって、今日は石田と顔を合わせていなかった事に気づく。診療日以外の彼は研究棟に籠っているので、思えば今日がその日だったのだろう。


 朝の時点では昨夜のお礼をしようと思っていたが、今は寧ろ会えなくて良かったと思い直していた。会ってしまったらまた、彼の厚情に甘えてしまうのではないか。そんな自分を容易に想像出来るのも、美鈴が普段より石田を頼りにしているからに他ならない。


 昨夜のパーカー男と今日のキャップ男が同一人物であるかは解らないが、二日続けて自分の周りに不審な影を認めたことを伝えでもすれば、彼に余計な心配をさせてしまうのは明らかだった。


「うん、もう少し様子をみよう」


 美鈴は自分に言い聞かせるように、そう呟いていた。



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