≡ヴァニティケース≡

 目的地の階段を上り、ドアを開け、バタンと後ろ手で勢いよく閉める。この時美鈴は、既に感情を制御することが出来なくなっていた筈だ。


 薄暗いプールバーをツカツカと歩くと、すぐに店の最奥でニヤつく隆二の姿が目に入る。彼女はその表情を見て更に激昂した。


 女には自分でも制御出来ない程に苛立つ時がある。様々な事象が重なって、ひとたび鬱積した感情が堰を切ると、何かに当たらなければ収拾が付かなくなる。厄介な感情ではあるが、女に生まれた以上は性がない。


「なによ、ニヤニヤして。私が来たのがそんなにおかしい?」


「いきなり何だよ。彼女は俺に会いたいから来たんだろ? だったら絡むことはねえよな、楽しくやろうぜ」


「うるさい! とにかく、全部あんたの所為だって言ってるの。ちゃんと責任取ってよ」


 この時、美鈴の中では上手くいかない全てのことが隆二に起因していた。契約が取れなかったことも、喫茶店の支払いが10円足りなくて万札をくずしたことも、何もかもが彼の所為だった。



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