≡ヴァニティケース≡

 病院を出た美鈴はまず、人通りの多い交差点で1分ほど立ち止まった。いつもの帰宅経路ではあったが、今も守ってくれている筈のパーカー男達に、自分の姿を確認させたかったからだ。こうしておけば万全だろう。


 駅に到着し、意思のない人の流れに紛れて改札を潜る。街は普段と何も変わらない。道行く人々の顔を見るともなしに眺めていると、勝手だが彼らにもそれぞれの人生がある事を疑いたくなる。皆が皆、同じように無表情な顔で歩いている。恐らくは食べて寝て、働きに出て。また食べて寝て、働く。この繰り返しの中でささやかな幸福に浸り、更にその幸福の度合いを水増ししてなんとか満足しているのだろう。空軍のパイロットやメジャーリーグのスラッガーに憧れていた少年の姿も、今となってはダークグレーの背広と同様にくたびれている。たぶん、美鈴もいずれはそうなる筈だった。


 しかし、今の自分に起きている現実はただごとではない。空軍士官の恋物語でもベーブ・ルースの美談でもない。およそ日常の範疇からはかけ離れた、ギャング映画のそれだ。



< 175 / 335 >

この作品をシェア

pagetop