≡ヴァニティケース≡
それにしても現世、来世、黄泉帰りと、よほど人間は死後の世界に興味が深いらしい。
ギリシャ神話のオルフェウスや古事記の伊邪那岐命イザナギノミコトは、愛する者を取り戻す為に死者の世界にまで行った。まだ教育が行き届いていない時代の僧侶は、大衆の現世を操る為に確約のない来世の幸福を説いた。人に変わらぬ愛を誓わせるのは、誰にも看取られずに一人で死ぬのが怖いから。人に誰ひとり救わない神を信仰させるのは、死後の世界が怖いから。
では、人は何故それほどまでに死を恐れるのか。いや、翻して考えたなら、人は本当に死ぬのが怖いのか。実のところ、単に自分が忘れ去られるのが怖いだけではないのか。誰しもが死ねば、そこに存在していた証拠はどこにもなくなる。奇妙な話ではあるが、それは事実だ。直筆の手紙も、写真も、映像でさえも、直接会っていない者にとってはただの記録でしかない。記録は改ざんできる。記憶はさらに改ざんできる。消失もすれば焼失もする。記憶を持った者が死ねば過去の者はそれで終わりだ。
そして、戻橋にはこんな伝説もあった。平安中期、源頼光の四天王筆頭と呼ばれた武士、渡辺綱ワタナベノツナと鬼の茨木童子イバラキドウジの伝説だ。