桜ものがたり
 旦那さまは、光祐さまの意見を受け、

しばらくどうしたものかと考えてから口を開いた。

「家としてではなく、個人としてということか。

 光祐も一人前の口を利くようになったな。

 そこまで申すのならば、調べさせてみるか。

 身上調査をして榛様が好青年であると太鼓判を押してもらえば、

母上も光祐も納得するだろう。

 いいかね光祐、何度も言うようだが、光祐は、桜河家の後継ぎで、

祐里は、妹なのだぞ。何時かは嫁に出さねばならぬ。

 それならば、早いに越したことはない」

 旦那さまは、昨日の文彌の振る舞いを見て、仕事上でも付き合いのある榛家に

何も疑問の余地はないと考えていた。

 その上で、殊更、光祐さまの兄としての立場に念を押した。

「父上さま、祐里が妹ということは重々承知しております。

 それならば、どうぞ、父上さまの娘である祐里のしあわせを猶(なお)のこと

考えてあげてください。よろしくお願い申し上げます」

 光祐さまは、一筋の光を見つけた気分になって旦那さまに笑顔を見せた。

「さぁ、私は、仕事に行ってくる。

光祐、ご機嫌伺に母上の好きな菓子でも持って、東野(ひがしの)の家へ顔を

出しておくれ。

 籐子御婆さまも三年ぶりの光祐をお待ちかねだろうからね」

 旦那さまもようやく笑顔を見せて、光祐さまの肩を叩いた。

「はい、父上さま」

 その時、祐里が書斎の扉を叩いた。

「入りなさい」

 旦那さまは、祐里の元気の無さは、奥さまと光祐さまの反抗に戸惑って

いるのだと思い込んでいた。

「失礼いたします。旦那さま、そろそろご出勤のお時間でございます」

 祐里は、いじらしくも旦那さまに笑顔を向ける。

「祐里、支度を手伝っておくれ。

 それから、祐里、薫子や光祐のことは気にせずに縁談のことは私に任せなさい」

「はい、旦那さま」

 祐里が書斎に入ると、光祐さまは、明るい表情で頷いた。

 祐里は、光祐さまの笑顔に安堵して、旦那さまの支度を手際よく整えると、

奉公人一同と共に玄関先で見送った。
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