野辺の送り
「先生は、恋をしたことはおありですの?」

「 恋  ですか?」

 彼女の採血をするのに集中しているときに、不意に尋ねられて、手が震えて針の方向が微かにずれた。

「す、すみません。痛くないですか?」

「うふふふ。だいじょうぶですよ。こちらこそ、状況を考えないで質問してしまったわね」

 彼女の細い細い腕とは裏腹に、びっくりするほどの明るい笑顔だった。

「昔、いたような気もしますね」

「まあ、昔って、私よりも遥かに女性として歴史が新しいくせに、生意気ね」

「はあ……」

 私はボールから空気が抜けていくような返事をしたものだから、どちらからともなく、二人で笑い合っていた。
 
 「お相手の殿方が別の女性と暮らしていても、彼の心から貴女は消えることはないわね」

「でも、それは、奥様に対する裏切りじゃないのですか?」

「あら?どうして?一緒に暮らす女性を大切にしながらも、自分の過去を大
切にするって素敵なことじゃないからしら?」

「そういうのを、未練っていうんじゃないんですか?」

「まあ、でもね、未練っていうのは、いつまでもその気持ちをずるずるひきずって、日常生活が円滑に営めない状態をいうのじゃないかしらね」

 彼女は、悪戯っ子の少女のような目をして見せた。



    
< 11 / 17 >

この作品をシェア

pagetop