春待つ花のように
 いくら討ち入りから10年が過ぎているとしても、以前は宮殿に仕えていた身だ。

 もしかしたら自分の顔を知っている人間がいてもおかしくない。そう思い、すれ違う人すれ違う人に緊張していた。

 しかし意外と皆、他人の顔を見ないのだろうか。それとも10年前の生き残りは存在しないとでも思っているのか。

 またはそんな昔のことは忘れてしまったのか。カインのことを気にするような人はいなかった。

「クスクス、少しくらい零れてもいいわよ」

 テーブルにつき、カインが運んでくるお茶を待っているマリナが笑顔で言う。

「いえ、そういうわけには…あっ! やってしまいました」

 カインはため息をつくと悲しげな表情になる。綺麗なカップに入っているお茶が零れて、お盆に飛び跳ねている。

 この小さな器に入っているお茶を、どうやったら零さずに颯爽と歩けるのだろうか。

 いつもお茶やジュース、酒を零さずに客に出しているローラやイブを尊敬してしまう。

「早く歩いたほうが、意外と零れないのかも?」

 マリナが、零れたお茶がテーブルに置かれるのを眺めながら呟く。

 カインは両手がお盆から自由になると、部屋の入り口近くにあるカートに布巾を取りに走る。
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