春待つ花のように
「次の仕事があるから」

 ノアルはそう言うとマリナの部屋を出て行った。本当に情けない男だ。

 一時の迷いでローラと関係を持っていなければ、夜もマリナと会えたのに。一時の迷いとはいえ、ローラにも女性としての魅力はある。

 ただ、自分はマリナの方に想いが強いだけ。ローラだって嫌いじゃない。好意的な感情はある。

 どうしてこう苦しい恋を選択してしまったのだろう。ローラと細々と温かい家庭を築くことだって選べたのに。

 それを選ばず、いつ破局が訪れるかわからない恋を自分は選んでしまった。後悔はしていない。

 でも違う選択もあったのではないか? そんなことを考えてしまう。













「ノアル様…」

 背後から呼ばれると、ノアルは足を止めた。こんな道端で自分の名前を呼ぶのは誰だろう。しかも『様』付きで。

 もう自分をそんな風に呼ぶ人間はいないはずなのに。

 ゆっくり振り返るとノアルは、自分の名を呼んだ男を見つめた。

「ノアル様、お久しぶりでございます」

 ノアルの前に立つと男は立膝で頭を下げた。

 男は身長も高く、体格もしっかりしている。ぼろ布の服を纏っているが、姿勢がよく品がある。
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