愛・地獄変 [父娘の哀情物語り]
 私の妻と申しますのが、そのご主人様の忘れ形見なのでございます。
毎日々々、私の店の前で泣いておられたのでございます。
御年十九歳でございました。それは心細かったことでございましょう。
ご親戚筋が、長野県におみえになるのでございますが、疎開されることなくご両親と共だったそうでございます。

 ご主人様のご恩への、万分の一でものお返しというわけでもございませんが、お嬢様のお世話をさせていただきました。
そのことがご親戚筋の耳に届きまして、すぐに所帯を持たせていただくことになった次第でございます。
勿論、畏れ多いこととご辞退したのですが、お嬢様の
「いいよ!」の一言で決まりましてございます。
 非常にご聡明なお方で、女学校にお通いでございました。
私といえば、ご承知の通りろくろく小学校にも行っておりません。
釣り合いがとれないからと、何度も辞退をしたのでございますが。

 とまあ世間様には申し上げて参りました。
今でこそ申し上げられますが、お嬢様は戦時中アカと呼ばれる国賊と、今で言う同棲生活を送っておられたのでございます。
とは言いましても、私自身前々から好意を持っておりましたので心底から喜んでおりました。
唯、よもやその国賊の子供を身ごもられていることなど知る由もございませんでした。
今にして思えば思い当たる節もございますが、何しろ終戦直後のことでごさいます。
単なる早産と思っていたのでございます。

えぇ勿論、妻はそう申しております。
「あの方は自分の家庭教師なんです。
同棲など、とんでもない。
父がそんなことを許す筈がないじゃありませんか。」と。
が、私にはわかっているのでございます。
あの厳格なご主人さまの手前、そうせざるを得ませんでございましょう。

しかし、しかしですな、学校を終えられてそのままその男の家に向かわれたのですぞ。
更には、休みの日など朝から行かれたのです。
「試験勉強の折でしょう、それは。
それにお友だちの家に寄ることもありましたし。
思い違いですよ、あなたの。」などと言われてもですな、俄かには信じられません。
知らぬ事とはいえ、そんな妻と三十年余り連れ添いました。
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