愛・地獄変 [父娘の哀情物語り]
 そして約束の二十年目に、ご主人様の勧めで店を開くことになりました。
いわゆる、暖簾分けでございます。
勿論、ご主人様のご援助のもとでございます。
開店時には、なんと有難いことでしょうか。
ちんどん屋を使っての宣伝をして頂けました。
そのお陰を持ちまして、千客万来の日々でございます。
用意させていただく菓子も、お昼時には殆ど無くなってしまいます。

「もう無いの?もう少し作ったらどうなの?」と、良くお客様にお叱りを受けるほどでございます。
ですが、職人はわたくし一人でございます。
今の数を作るのが精一杯でございます。
それにお店を任せておりますお方も、お昼前だけのお約束でございましたし。

「お嫁さんを貰いなさいな。
あたしが世話しようかね。」と、ご近所の方々から言って頂けますが、辞退しておりました。
と申しますのも、わたくし、心に秘するものがございまして。
いえ、今ここで申し上げるわけには・・。

 その一年後には、大東亜戦争の勃発で赤紙が届き、すぐにも入隊の運びとなってしまいました。
しかし、何が幸いするのでしょうか。
和菓子の製造で体を蝕まれていた私は、兵役検査でわかるという皮肉さでしたが、外地に赴くことなく内地で終戦を迎えたのでございます。
しかも幸運にも私の店は戦災を免れまして、細々ながら和菓子づくりを再開したのでございます。
そしてその後、妻を娶りました。
そうそう、言い忘れておりましたが、ご主人様は東京空襲の折にお亡くなりになっていました。
奥様も又、後を追われるように亡くなられたのでございます。
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