愛を教えて
万里子はそれまで、異性とデートしたこともなく、キスはおろか、手を繋いだこともなかった。彼女が経験していたのは、淡い憧れ程度の初恋のみ。


二階の鍵がかかる部屋に逃げ込もうと、階段を駆け上がったところまでは覚えている。

正面の窓から、大きな月が見え――。


万里子はその夜、暴力により、純潔を奪われた。


夜明け近く、万里子は忍の声に意識を取り戻した。

忍は万里子を抱き締め、ひと頻り泣いたあと、


『お嬢様、お辛いとは思いますが、救急車を呼んで病院へ行きましょう。取り返しのつかないことになる前に、早く処置してもらいませんと』

『ダメよっ! お父様に知られてしまう。こんなこと……お父様にだけは知られたくない!』


何より万里子を大事にしてくれる父のこと。仕事で遅れたせいだと自分を責めるのは目に見えている。


十四年もの間、再婚もせず、亡き妻との約束を守り、万里子の成長を見守り続けてくれた父。

小学生のころ、遊びに行く約束が守れず、親戚の一家に万里子を任せたことがあった。そのとき、万里子はほんの小さな怪我をして……父は傷跡が見えなくなるまで、自分を責めていた。


それとは比べ物にならないほど、この夜、万里子が負った傷は深い。


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