リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「兄に、なにか用ですか」

きつい眼差しで自分を睨みつけている突然の乱入者に、牧野と対峙していた男は怯んだようだった。
牧野が離れたあと、のんびりと話しをしていた自分たちの横を、足早に通り過ぎていった男だと、その風貌を見て明子は思い出した。
明子よりも背の低い小柄な男だった。
疲れた顔をしていると、明子は感じた。
年のころは、もう還暦を大きく越えているようにも見えるが、実際にはもっと若いのかもしれない。

「いや、ちょっと、この人と、……、その、話が」

しどろもどろの男に、牧野は「あんたと、しなきゃならない話しなんてない」と、にべもなく言い捨てる。

「もう、長くないんですよ。一目だけでいいから」

それでも尚、牧野に必死に縋ろうとする男のその言葉に、牧野はさらに声を荒げて怒鳴り返した。

「勝手なことを言うなっ」

罵声と言うよりは悲鳴に近いその声に、明子の胸が軋んだ。
会ってくれと言われる度に、歪んでいく牧野の表情にあるものは、怒りではなかった。
それは、痛みだった。
今でもまだ、癒えぬ傷を抱えている牧野の心がさらに傷ついていく痛みが明子にも伝わって、それが明子の胸を刺さって、考えるよりも先に 体が動いた。
牧野の前に立ち、牧野の頭を抱き抱えるように手を伸ばしていた。
きつく、つよく、その傷ごと全部、牧野を包み込もうとするように、明子は牧野を抱きしめた。
一瞬だけ、牧野はたじろぎを見せたが、すぐに明子の肩に顔を埋めた。

「お願いしますよ。ずっと名前を」
「お引き取りください」

尚も食い下がろうとする男に背を向けたまま、明子は淡々とした声でそう告げた。
今すぐ消えてと言う嫌悪にも似た思いを込めて、明子は男に一言、そう告げた。
そんな明子に対してなにかを言いかけた男は、面会を終え帰路につこうと駐車場に集まり出した人影たちが、いったい、なんの騒ぎだろうと様子を窺っている気配を察して、これ以上の口論を諦めたらしい。

「本当に、もう、長くないんです。あと、数日くらいなら、きっと、意識があると思うんで」

来てあげてくださいと、男は頭を下げて病室を告げると、明子たちの前から逃げるように立ち去っていった。
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