リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
廊下を歩く人の気配に、牧野は顔を引き締めた。
朝の早い社員なら、そろそろ、出社してくる時間だ。
彼女も、たいがい朝は早い。
顔をにやつかせてなどいたら、おはようございますの挨拶とともに、朝から気持ち悪いですよと、彼女は胡乱な目を向けてくるに違いなかった。
ある程度、客先や案件に応じた専用ボックスを作って振り分けるようにしているが、最近追加したあるボックスに、今日も一通、メールが届いているのを見て、牧野は、思わず大きく息を吐き出した。


(少し、時間をくれと言っているのにな)
(あいつの少しは、二十四時間か?)
(ここまでくると、もう、ある種の嫌がらせにしか思えねえな)
(まあ、ほとんどが雑談で、肝心要の要件は、一行ほどだろうけど)


それは、アメリカに渡って、そろそろ十年になる、ある人物からのメールだった。


(さてさて。今日はなんだと、言ってきたのやら)


最優先で目を通すほどのものではないのだが、なんだかんだ言いつつも、おそらく内容的には一番楽しいメールで、少なくとも朝っぱらから頭を抱えて呻かなければならないようなものではないと判っているので、真っ先に読んでしまう。
相変わらず、市場がどうのだの、昨日食った飯がどうのだの、一々そんな報告をしてくるなと、そう苦笑いしたくなるようなことばかりが書いてあったが、最後の一文で牧野の思考回路が停止した。


『帰国が来月になったので、タイムリミットは今月末で、よろしく』


その一文に、盛大なため息がこぼれた。
いきなり、そうきたかと額に手を当てる。


(そろそろ、きちんと話しをしなきゃならないな)


卓上のカレンダーに目を向けて、牧野の髪を掻きむしった。
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