リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
明子が帰社したときからずっと、牧野は机上の固定電話の受話器を耳に押し当て、難しい顔をしていた。
本部長参戦の件については、文句の二つや三つは言ってやらねばと、明子は肩を怒らせて帰ってきたのだが、思いきり、その出鼻を挫かれた形になった。
漏れ聞こえてくる内容から察すると、松山が担当しているプロジェクトで、なにか問題が発生しているようだった。


(話が終わるまで、待つしかないわね)
(長そうだから、コーヒーでも淹れてこよう)


朝からバタバタと慌ただしかった一日で、お茶どころか昼食ですら、明子は満足に食べられなかった。
正直に言えば、保温バックに入れて持ってきた、スープ用のステンレス容器にたっぷりと入った野菜スープしか、食べられなかった。
厳密に言うなら、それしか、明子の喉を通らなかった。
おくびにも出すもんかと鋼鉄の要塞の中に閉じ込めたが、今日のプレゼンは明子にとっても、とんでもない緊張を伴い挑んだものだった。
いや、緊張しないほうがおかしい。
そわそわ、はらはら、どきどきが朝から止まらなかった。
その上での林田の登場だ。
あの緊張の中で沼田がよくがんばってくれたものだと、明子はしみじみとそう思った。

明子が引き出し中に仕舞ってあるマグカップを持って立ち上がると、牧野が自分のマグカップを掲げるように持ち上げるのが見えた。
自分の分も淹れてきてほしいということかと、明子はふらりと、牧野に近づきそれを受け取った。
片手を挙げて、悪いなというように明子を拝む牧野に、いいですよと唇だけ動かしてそう答え、明子は給湯室へと向かった。



このとき。
そんな明子を、忌々しそうに見ている者がいたことなど、明子はまったく気付いていなかった。
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