リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】

8.この胸に、花を

始業まであと十五分という時刻になって、明子はようやく会社にたどり着いた。
踏み切りのトラブルにより緊急停車した電車は、駅にいつもより二十分遅れの到着となった。
それでも、運良く発車寸前の路線バスに飛び乗ることができ、降りたバス停からは走って走って、会場に着いた。
なんとかギリギリで間に合ったわと、額にうっすら浮かんだ汗を拭いながら、明子は階段を駆け上がりロッカールームを目指した。

おはようございますと挨拶を交わしつつ、人の出入りでバタバタしているロッカールームに入ると、奥にある、大きな鏡が置きれた一角から漏れ聞こえる会話に自分の名前が含まれているような気がして、明子は思わず聞き耳をたてた。

「ホント、目障り、小杉女史。牧野さんの周りウロウロして」
「ねえ。高望みし過ぎで、イタいよねー」
「年が年だから、焦ってんのよ」

明子は、がくりと項垂れた。


(朝っぱらから、くだらなさすぎて、頭がイタい)


面倒くさい連中に目を付けられてしまったと思うと、やはり、牧野に文句の一つも言いたくなってきた。
協力しろと言われたけれど、やっぱりそんな役目はごめん被りたいと、明子は切実に思った。

この胸に、恋心があることは、明子自身も自覚している。
否応もなく、この数日で自覚させられた。
報われるのか、報われないのか、それすら判らない恋心だ。
それでも、捨てることなどできないと、思い知ってしまった恋心だ。
願わくば、いつか報われてほしいと、そう思っているけれど、牧野の本心も判らないまま、自分から積極的に動くつもりはなかった。
もう、必要以上に傷つきたくはない。
明子はそう胸中で呟いた。
だから、美咲たちを敵に回して、牧野のことで彼女たちとやり合う気持ちにもなれなかった。


(いい年して、あんな若い子たち相手に、恋愛沙汰の揉め事なんて、ねえ)
(笑われるのは、こっちだわ)


中心にいるのは間違いなく、美咲とその取り巻き女子二名だが、彼女たちと年の近い他の部署の社員たちも数名、そこにはいた。
一人二人と増え続けているその集団は、今やロッカールームの悩みの種でもあった。
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