リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「その横のマンションです。あの銀杏、意外と知られているんですね。牧野さんも知っていて」
「ああ。牧野の実家は、前は駅のあたりにあったらしいからね。学生のころは、駅前のピザ屋で、アルバイトをしていたし。あのあたりには詳しいんだろ」

その言葉に、明子の目がゆるりと島野に向けられた。
仲はいいらしいということは、今日のやりとりでなんとなく判ったけれど、明子が思っていた以上に、二人は親しい付き合いをしているらしい。
牧野の実家が花屋だいうことを、明子は今日、初めて知った。
もっとも、牧野に花を頼む社員がいることを考えれば、それは秘密でもなんでもなく、明子が牧野に関して意図的に無関心を装っていたからなのだろう。
それでも、牧野の実家の場所や、学生時代のアルバイトなどは、周囲にそう知られている事実とは思えなかった。
思い返してみると、牧野から家族や生い立ちについての話を聞いた記憶が、明子にはなかった。
君島のいう、牧野の試しに耐えて合格した者にしか、牧野は自分のことを話さないのかもしれない。
そうだとしたら、島野も試されていたときがあったのかと、明子は島野を少しだけ、驚きの目で眺めた。


-島野なんか毛嫌いするかと思ったら、あんがい、すぐに懐いたしな。


唐突に、小林が放った言葉を思い出し、懐いたというのはそう言うことかと、明子は解釈した。

島野は、君島たちより二年後に入社した社員だ。
当然のことながら、明子たちの先輩になるのだが、以前、明子がシステム部にいたころは、島野の所属部署が違っていたということもあり、正直、明子にとってはほとんど記憶ない先輩たった。
むしろ、営業に移ってからのほうが、その名前は耳にするようになった。
仕事がらみではなく。
女性がらみで。
春に戻ってきてからも、挨拶ていどのやりとりはしていたものの、親しく話をするような機会もないまま、島野は広島に行ってしまったので、君島が頼りにしているらしいということくらいしか判らない、明子にとっては未だ謎多き人物だった。
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