リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
まだ二〇時を少しすぎたばかりの電車内は、そこそこの人で溢れていた。
明子が降りる駅に着くまで開くことのないドアに、明子は右半身をもたれるようにして、窓の外の流れる景色を見ていた。

いろんなことが頭の中をぐるぐるしていた。


(もっと早く、井上さんのこととか)
(いろんなこと、ちゃんと見ていてあげていたら……)


仕事さえしていればいいと、周りのことなどなにも見ていなかった自分が、明子は情けなくなった。
彼女たちと、もっと、いろんなことを話してきたら、聞いてあげていたら。もう少し、違うやり方があったかもしれない。
自分を嘲笑する彼女たちに背を向けて逃げてしまったことが、今になって悔やまれた。
美咲の子どもじみたウソを、みんなの前で、あんなふうに暴きたてるようなことは、しないですんだかもしれないと、そう思うと明子はやりきりなくなってきた。
誰が悪いと聞かれれば、ウソを力ずくでも真に変えようなどど目論んだ美咲のせいだと言うしかないし、同情してどうするのと思う自分もいるけれど、それでも他にやり方なかったかなと、妙に悔やんでいる自分もいた。


(毎日、牧野さんの顔を見て、牧野さんの声を聞いて)
(それだけで、あの子、楽しかったんだろうなあ)
(一日中、頭の中で、楽しいこといっぱい考えて)
(まるで、牧野さんとデートをしているような、そんな気分になっていたのかなあ)


美咲のその感覚は、明子にも判らないことはなかった。
それは、自分がテレビの中の『文隆くん』を相手に、きゃあきゃあと取りとめもない妄想を膨らませて体験している擬似恋愛と、感覚的には同じだろうと明子は考えた。
けれど、それは夢なのだ。
楽しい妄想遊びだ。
みな、それと判って楽しんでいる疑似恋愛だ。
なのに、美咲は家に帰って、母親にそんな話しを現実のように話して、笑ってくれる母親を見て嬉しくなって、いつかは覚めなきゃいけないその夢に、浸りきってしまっていたのだろう。

車窓の風景を見ながら、明子は湿ったため息を吐いた。
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