リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
毎日、牧野の隣で牧野を見つめていた遠い日の自分を、明子は思い出した。


‐これ、なんだけどさ……。


そんなふうに、隣の席から牧野の声がかかるだけで、嬉しかった。
あのときの明子は、今の美咲と同じくらいの年の頃だ。
でも、牧野への思いを口にすることは、明子にはできなかった。
できなかったから、とにかく、仕事だけは必死にしていた。
仕事を頑張ることで、牧野に認めてもらおうと思った。
井上さんも、まずは仕事を頑張ろうと、どうしてそう思うことができなかったのだろうと、今さら言ってもどうしようもない同情を、ため息に乗せてまた吐き出した。


(でも、それを言ったら……)
(原田さんだって、そうだよね)


明子は、会社を出てくる前に見た光景を思い返した。




木村が退社してすぐ、野木が幸恵を叱る声が聞こえ、明子は振り返った。
どうやら、幸恵も帰ろうとしているらしかった。

「帰るのはいいけど、そんなペースでやってて終わるのか? お前。誰も手伝わないからな」

呆れ混じりの野木の声に、幸恵の甘え混じりの声が続いた。

「でも、こんなに、一人でなんて無理です」
「甘ったれんな。やれるって言ったのはお前だろ」
「今までは、できなかったときは、沼田さんや主任がやってくれたじゃないですか」

なのに、どうして今回はやってくれないのかと顔を歪めて訴える幸恵に、沼田が口を開いた。

「手伝ってやるように、課長から言われたからだよ」

そんなと、小さな声で呟いた幸恵は、それでも、それだけではないはずだと信じているかのように、沼田を縋るような目で見つめていた。そんな幸恵の視線に、沼田は息を吐いて言葉を続ける。

「今まで、僕や野木主任が原田の仕事を片付けていたのは、課長からそう指示されたからだよ。別に、原田のために片付けてやったんじゃない。勘違いするなよ」

きっぱりとした沼田の言葉に、幸恵は泣きだしそうな顔で部屋を出ていった。




思い出した光景に、明子はまたやりきれなさがこもったため息を吐いた。
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