高天原異聞 ~女神の言伝~

 満ちた月が、ひっそりと群青の夜空に浮かんでいる。
 星々は夜の空を控えめに彩りながら瞬いている。
 昼の空とは違う、穏やかな夜の空を、女神はうっとりと眺めていた。
 最初の二度の國産みで産まれた太陽と月は、神霊が宿らず不完全ながらも、この世界に馴染んでいる。
 愛しいその姿に、女神は満足した。

「何をしている――?」

 愛しい半神が、背後から優しく自分を抱き寄せる。
 その腕に包まれるだけで、女神の身体は喜びに震える。

「空を見ていたのです。あの美しい月をご覧になって」

「ああ――美しい。神霊が宿らぬと聞いて、どうしたものかと思ったが、今や太陽も月もこの世界にはなくてはならぬものだ。我々の國産みは、間違いではなかった」

「ええ、全てが愛おしく、大切な御子です。私達が創りだした世界は、とても美しい――」

「だが、そなたのほうがもっと美しい」

 腰に回っていた男神の手が、女神の顎を背後へと傾ける。
 そして、覆い被さるように唇を塞いだ。
 薄く開いた唇から、そっと舌が入り込み、絡んだ。
 深くなるくちづけに、女神は酔った。
 何度も離れては重なる唇に、熱く淫らに絡み合う舌に、気持ちが高ぶる。
 どちらともなく、膝をついた。
 口づけの合間に女神は仰向けに草の上に横たえられ、男神の身体を受け止める。
 八尋殿でなければ、新たな神は産まれない。
 安心して、女神は男神に身を任せた。
 神を産むたびに、女神の神気と神威は弱っていった。
 新しい命が、女神の命を奪っていくかのように。
 國産みは、未だ終わっていない。
 この豊葦原をたくさんの神で埋め尽くさねばならないのだ。
 その為に、この身は在る。
 女神は、この世界を愛していた。
 自分の命が産み出した、あらゆるものを愛していた。
 そして何より、そんな喜びを与えてくれる男神を、愛していた。
 だからこそ、弱っていく自分の神威を隠し、男神とともに國産みを続けている。

――もしかしたら、もうお傍にはいられないかもしれない。

 そんな不安がよぎる。
 だが、男神を拒むことはしない。

 愛しい背の君に抱かれる喜びは、何にも代え難いことだから――

 二つの神気が混じり合い、揺らめく。
 強く、強く、しがみついた。
 一つになって、いっそ溶け合ってしまいたい。
 虚ろな内部を男神で満たされ、女神の身体が喜びに何度も震える。
 密やかな吐息が、大気にもれる。
 あらゆる神々が、神霊が、それを優しく見守っていた。



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