真実の永眠
11話 嬉々
「ただいま」
 玄関扉を開ける音と同時に、少々疲れ気味の声を私は出した。バイトが終わり、今家へと到着したのだ。
「おかえり」
 靴を脱いで上がると、キッチンで夕飯の支度をしている母が答えた。
 キッチンは玄関を入ってすぐの所に位置し、部屋はその後ろ。その隣にある部屋へと足を運んだ。この部屋は、本来ならば姉妹で使う筈の部屋なのだが、今は私の私物が多く、申し訳ない事に殆ど自分だけの部屋になってしまっている。
「お風呂沸いてるけど、もう入る?」
 右手に包丁を握り、トントントンッと軽快な音を立てて野菜をザクザクと切っていた手を止めて母は尋ねて来た。
「十七時半、か……」
 時計に目を向けたまま呟き、肩に掛けていたバッグを絨毯の上に置いた。
「まだいいかな。ご飯食べてからにするね」
 部屋着に着替える為、洗面所へと向かいながら母にそう返事をした。
「そう、分かった」
 こちらに向いていた身体をキッチンに向き変え、母は夕飯の支度の為手にしていた包丁で、中途のままの野菜を再びザクザクと切り始めた。



 音楽でも聴こうと、コンポにMDをセットした。
 音楽は、癒される。
 暫くはベッドに寝転びながら、音楽を聴いていた。明日は休みだから、こうしてのんびり聴いていても明日には響かないし、眠気が来てそのまま寝てしまっても大丈夫だ。休みの前日は好き。時間を気にせず好きな事が出来るので。
 今日は優人にメールしてみようかな。ふと、そんな事を思った。
 最近は仕事が忙しくなり、あまりメールを送っていなかった。かと言って、向こうからメールが来る訳でもなく……。
 やっぱり、彼は私の事など何とも思っていないのだろうか。メールを送れば沢山してくれるし、返事も早くくれるのに、彼からメールをくれた事は、やはりこれまで一度もない。
 今までの優人とのメールを、読み返した。
 流しっ放しの音楽が少しばかり耳障りに感じたので、枕の傍に置いていたリモコンを手に取り、コンポに向けて流れている音楽を停止した。
 電話帳の“優人”を開いて、暫くはその名前を見つめていたが、意を決しメール作成ボタンを押した。
 何と送ろうか。優人にメールを送るの未だに緊張する。でも、優人はいつでもメールしていいよって言ってくれたから。ここは遠慮なんかせず、送りたい時に送っちゃえ!
 そう半ば自棄になり(?)開き直ると、先程までの不安が不思議なくらいに霧散して行った。
<少しだけ久し振り。いつも部活お疲れ様>
 微妙に返信に困る内容のような気がしなくもないが、敢えてこのまま送ろう。私は迷わず送信ボタンを押した。
 ~♪
 優人だ。
 彼からのメールだと気付き、すぐに身体を起こした。
 久し振りのメールだったので、一回目の返信があっただけでも凄く嬉しくて、泣きそうになった。
 特に最近は仕事のストレスや疲れが溜まっていた為、優人とのメールはこんなにも幸せと力を与えてくれる。
 だが、いつも内容を見るまで緊張する。ドキドキしながら、優人からのメールを開いた。
<ありがとう。ほんとに疲れたー>
 優人からの返事を見て、思わず顔が綻ぶ。メールで話す感じがとても可愛らしいと私は感じていた。
 でも、やっぱり部活は疲れるんだ。
<ほんとにお疲れ様。疲れてるんだったら、今日はメールしない方がいい?>
 ――本当に自分は、何処までも馬鹿だと思う。
 恐らくそう送信したのは、心から優人を気遣っているのではなく、メールしてもいいよって言って欲しくて――そんな理由から言ったのだろう。勿論優人の身体を気遣う気持ちもあるのだろうが。
 自分の事なのに、どうしてかこういう時客観的になる。
 ディスプレイに“優人”の文字。メロディが鳴り響く。まだ、ドキドキする。
<メールは全然いいよ>
 嬉しかった。私にとってはこんな何気無い一言でも、保存したいくらいに嬉しいと思うんだ。
<良かった。じゃあ遠慮無くメールしちゃお>
 本当に、以前に比べ随分仲良くなれたと思う。メールを送る時はいつだって緊張するけれど、こんなに普通に会話が出来るなんて。
<うん、しちゃえしちゃえ>
 受信した優人からのメールにはそう書かれていて、幸せが溢れるこの胸の感情をどうしたら良いものかと、それはもう幸せな悩みを抱えていた。









「……行儀悪いよ。それにしても、何だか嬉しそうだね」
 食事中にも関わらず携帯電話を放さない私に、呆れているのか怒っているのか、どちらとも言えない口調で、母は言った。
 私の家族は、とても仲がいい。
 家族構成は、父、母、兄がいて、下に妹が二人いる。
 友達親子、友達姉妹と言えばしっくりくるくらいに何でも話せて、恋の相談だってし合う。流石に父親には話さないけれど。
「食事中くらいは携帯置いときなさい。……で? どんないい事があったの。」
 取り敢えず聞いてやるかとでも言いたげな口調で母は尋ねて来た。
「別に大した事ないんだけど……今日優人部活で疲れてるみたいだから、メールしない方がいいかって聞いたの。そしたら全然いいよって言ってくれて。今もメール続いてるし、それが凄く嬉しくて」
 私は満面の笑みで答えた。
「まぁ、幸せそうで何より」
「うん、ふふ」
 和やかな雰囲気で囲む食卓。
 食事が終わってからゆっくり優人にメールをしようと、傍に携帯電話を置き、中途の食事を平らげる事にした。




 現在二十一時。
 夕食を終え、自室に戻り優人とのメールを楽しんでいた。
 私達のメールはいつも何気無い会話ばかりで、良く言えば、ずっとピュアな二人でいられたし、そんな会話でも楽しむ事が出来た。
 悪く言えば、進展が、何もない。
 優人の彼女についてを互いに話題に出す事はないから、彼女については未だに何も知らないけれど、周りからも何も聞かないので、恐らくまだ付き合っているのだろう。その存在に悲しくならないと言えば嘘になるが、彼女の存在を殆ど気にする事はなかった。
 優人から語られる事が何一つなかったから、それがとてもありがたかったのかも知れない。
「お風呂沸かし直したから出来れば早く入ってね」
 お風呂場から出て来た母が、テレビを見ている妹達と、別室にいる私にそう言った。
 今日は早々と沸かしたけれど誰もすぐに入らなかったので、お湯が冷めてしまったのだろう。
「夕海(ゆみ)、桃花(ももか)、先入る?」
 夕海、桃花とは、私の妹だ。
 夕海は私の三歳下で中学二年生。桃花は夕海の五歳下で小学三年生。桃花は、私とは八歳離れている事になる。
 余談だけれど、兄と桃花は十一歳も離れているから、殆ど会話がないのだそう。
 私は、妹二人が居る部屋にやって来てそう尋ねた。
「お姉ちゃん朝早いから先に入ってもいいよー」
 夕海が振り返りそう言った。
 桃花は会話など聞いていなく、テレビを観て笑っている。小学生でまだまだ子供、何を見ていても楽しいのだろう。その姿を一瞥してからつられるように笑い、夕海の顔を見た。その顔は、先程まで桃花と共に爆笑していたからだろうか、未だに半分笑っている。
「先に入っていいよ」とは、恐らくテレビを観ていたいからなのだろう。
「明日休みだから、別に急いでないよ」
 とは言ってみたものの、やはり。
「でも私達は後でいいよー」
 予想していた返事を返された。早く入ってその後はゆっくりすればいいか、そう思い先に入る事にした。
<今からお風呂入って来るね。あがったらまたメールしてもいい?>
 入る前にそれを確認したくて、優人にそう書いたメールを送信した。今とても楽しくお喋りをしていたので、ここでメールを終わりにしたくないと思った。
<うん、いいよ。行ってらっしゃい>
 メールを見て、笑顔になる。ただ、それだけの言葉でも、幸せに感じる。嬉しい、ただ、嬉しい。
 その感情だけが、溢れていた。









 普段ならば長風呂するのに、優人とメールしたいが為に、今日は少し早めにあがった。時間で言えば四十分くらいだろうか。いつもは一時間入っている。
 すぐに部屋に戻り、優人にメールを送った。あがったよ、と。
 それからすぐに肌のお手入れをし、髪を乾かしたりしていた。
 優人は何もしていなければ大抵五分位で返事をくれていたが、今送ったメールには、十分程経ってから返事が来た。もしかしたら寝てしまっているかも知れないと考えたけれど、返事が来たからとても嬉しかった。寝てしまっていても別に良かったのだが、やはりこうして返事をくれるととても嬉しくなる。
 そんな事を考えながら優人からのメールを開いた。
<おかえり。俺も入って来た>
 え……合わせてくれたの? 私に。
“そんな事で”などと周りには言われてしまうかも知れないけれども、そんな事が、ただ、それだけの事が、今までのどんな言葉よりも嬉しく幸せに思えた。
 私も優人も、毎日二十二時半~二十三時の間に就寝する。
 今は二十二時前を時計の針は示しているから、もし、私があがってから優人がお風呂に入ると、メール出来る回数は少なくなるな……なんて考えていただけに、優人の言葉と行動は、私に大きな幸せを与えてくれた。
 優人のメールが嬉し過ぎて一瞬は固まったが、冷静になればなる程、嬉しさに顔が綻んで来る。お風呂、ご飯食べてからにして良かった……などと若干意味不明な事を考えて喜んだ。
 この嬉しさを今すぐ誰かに言わなければ身体に悪い。自分の中だけではこの幸せは抱え切れない。この幸せをおすそ分け(?)すべく、私は別室にいる母と妹二人の元へと急いだ。
「聞いて! 優人が……」
 喜びに満ちた声と、はいはい、良かったね~、などと適当に返すみんなの言葉が、もう一つの部屋から聞こえて来るのであった。
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