絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
 エレベーターの中で2人きりで夜景を見ることにもだいぶ慣れ、その度に宮下昇は思っていた。
 この夜景を毎日一緒に見ることができたのなら、と。エレベーターの下で待ち合わせをする必要もなく、自宅のインターフォンを押せば彼女が出て来るそんな、自然な2人になれたのなら、と。
 2人は談笑しながら部屋へ入り、ソファのいつもと同じ場所へ座り、お互いなんとなく携帯電話をテーブルに置く。それがいつもの癖だった。彼女は時々家族から連絡が入っているようだし、自分も仕事の連絡がいつ入るか分からない。
 「携帯電話は、タイミングによって出るかどうかは別だが、誰が自分を呼んでいるか、ということくらいは分かる状態にしておきたい」というのは、彼女の受け売りだが。
 その彼女が手洗いに立ったとき、テーブルの上の携帯は電子音を立てて鳴り始めた。
 メールか電話か、小さなサブディスプレイで確認する。
『榊 久司』
 流れていたのはその文字だけ。
 久司……ヒサシ……男だと?
すぐにありもしない被害妄想が頭をよぎり、確信をしてしまう。間違いない。これがロンドンの医師に、間違いない。
 いや、例え間違いだったとしたって、構うものか。
 トイレの水が流れる音がした。
 しかしそれに構わず宮下は、携帯電話のボタンを押した。
『もしもし』
 相手は間違いなく男。
 やはり、ロンドンからかけているのか?
『もしもし? 愛?』
「もしもし」
 その呼び名に耐え切れずに声を出した。
『……香月さんの携帯ではないですか?』
 相手は、さほど動じず、しっかりと会話をしてくるようだ。
「そうです。どんな御用ですか?」
 彼女が、自分の携帯を使われていることに気づいて、目を大きくさせながら静かにこちらに近づいてくる。
『私はグリーンケアステーションの榊久司です。すみませんが、愛さんは近くにおりませんか? 急ぎの用です』
「私が伝えます」
 彼女を睨みながらはっきりと喋る。
『今私は桜美院総合病院にいます。そこに、今朝、樋口阿佐子さんが運ばれました。睡眠薬を大量に飲んだようです。容体は今は安定しています。で……個別に樋口さんに会われる前に説明をしておきたいので、よければ今すぐか、明日朝早くに来て頂けるとありがたいです。とお伝え願えますか?』
 想像を遥かに超えた重大な用に彼女に電話を譲ろうか一瞬迷ったが、
「分かりました。必ず、伝えます」
『お願いします』
 すぐに電話は切れる。自分は名乗りもせず、相手を疑ってかかっていたのに。……誰が睡眠薬を大量に飲んだって?
「何? どうしたの?」
 彼女はこちらと携帯電話を心配そうに見つめている。
「樋口……さんという人が睡眠薬を大量に飲んで桜美院に入院したそうだ」
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