絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
「で……そうか、車のことよね。あの車はね、その阿佐子が今好きな人、中国人のリュウ様という人からの物なの。3人で一緒に食事に行って、出会った印にって貰ったの。阿佐子に頂きなさいって言われて、多分お金持ちってそんなもんなんだろうって、受け取った。
 よく分からないのよ、私にも、何がどうだったのかなんて」
「車、返した方がいい」
 彼女だけを見つめて、ゆっくり言う。中国人という得体の知れない人物が彼女の気を引くために車を送りつけていたということを、自分だけが知らなかったショックに、苦い顔を隠せなかった。
 しばらく彼女は黙っていたが、溜息をつくと、ようやく口を開いた。
「どうやって返すかが、問題。車、お返ししますって言ったらきっとなんか言われて、返す言葉が見つからなくなると思う」
「何かって?」
「ものすごく丁寧な日本語を喋るのよ……流暢な。できればそのまま置いて置きたいわ。事を荒げたくない」
「何を言ってるんだ……。相手がどんな人か分からないのなら、その、入院してる人のこともあるし、返した方がいい」
 あえて厳しい口調で言った。香月が現実離れしてしまうと、今の自分の生活まで失ってしまう。
「……そうよね、ごめんなさい。そう……ありがとう、本当に」
 話の途中で、相手が自分ではなく奴に移ったことに気づく。彼女はこちらではなく、まっすぐ前を見ていた。
「いや、俺の口から言えてよかった。また明日ロンドンに戻るし。その前にもう一度、明日の朝がいいな。お嬢様と、誰か付き添いがいたらその人と少し話しをしようと思う」
「教えて、どうだったか。また、連絡して」
「ああ」
「大事なことだわ」
 まるで、反対される前に防いでおこうとする、彼女の最後の一言。もちろん、そんな大事な用なら邪魔したりはしないが。
「じゃあ、そろそろホテルに戻る。まだ仕事が終わってないから」
「あ、ほんと? ごめん、ほんとありがとう……。なんか……昨日本当に楽しかったのに、夢みたいだね……」
「ああ……本当に。楽しかった昨日が夢のようだ」
 2人は目配せして別れを告げる。
「あ、どうもありがとうございました」
 今の自分にふさわしいのはこの言葉だ。
「いいえ、どういたしまして」
 そして多分、今の榊久司にふさわしいのも、この言葉だろう。
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