時は今
楠が立ち並ぶ通りを手を繋いで歩く。ただそれだけなのに、いつも目にしている風景が特別な輝きを持っているように見えてくるのは何故だろう。
「会長」
「──ん?」
「今日、会長のお家に行ってもいい?」
「いいけど…。涼帰るの遅くなったら、家の人心配しない?」
「大丈夫。会長のお家で、一緒にピアノ弾きたい」
「ああ…」
由貴は涼の編曲した楽譜を思い出して「俺も涼が弾くの聴いてみたい」と言った。
ふれている指先から何か熱を帯びてくるように、苦しくなるような感情が疼く。好きな人といるのに不安が広がる。
──由貴はそれきり黙ってしまった。
「会長、疲れてる?」
「え?」
「昨日の朝も、少し元気ないみたいだったから」
由貴は話そうかどうかしばし迷った。でもここで黙っていたら涼が不安になるだろうか。
「うん…。昨日変な夢見た」
由貴はぽつぽつ話し始めた。
「建物が壊れる夢。たくさんの人が崩れていく建物と一緒に呑み込まれて行った。奇妙な老人がいて、次はお前だと言われた。──目が醒めたら泣いていた」
何かこれといった不安はないんだけど、と由貴は言い添える。
「でも──最近、俺はどうして涼じゃなかったんだろうとか、変なこと考える」
「会長は涼になりたいの?」
「気持ちがわからなくなった時にね。考え出したら不安が止まらなくなるから途中でやめるようにしてるけど。涼の気持ちになれたら楽になれるのにと思って。涼が好きだからなのかもしれないけど」
建物が壊れる夢の話と、その後の涼の話とは、聴いているだけではまったく結びつかない内容に思えたが、由貴の中では何処か繋がっている感覚のようだった。
たぶん由貴は漠然とした精神的なものの話をしているのだろう。
「ごめん。こういう話、重い?」
「ううん」
何となく涼は、普段静かで論理的な由貴が、こういう未整理な感情を未整理なままに話しているのは、いいことのような気がした。
「よくわからないけど、会長と涼が別々なのは意味があると思う」